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2010年08月

 サッカー日本代表の次期監督に前ユベントス監督のイタリア人、アルベルト・ザッケローニ氏(57)が就任することが29日、明らかになった。 

 29日、極秘来日したザッケローニ氏は、日本サッカー協会の原博実強化担当・技術委員長(51)らと最終的な話し合いを持つ予定で、早ければ30日にも正式に就任が発表される。98~99年シーズンにACミランを率いてセリエAを制したイタリアの名将に、新生日本代表のタクトを託すことになった。
 混迷を極めた日本代表監督人事が、ついに決着の時を迎えた。原委員長が「3人いる」と明かしていた最終候補の1人であるザッケローニ氏が29日、極秘来日。関係者によると、きょう30日には原技術委員長、代表コーチに就任する予定の関塚隆代表臨時コーチらと今後に向けた細部の話し合いを持つ予定だ。
 日産スタジアムで行われたJリーグの横浜―新潟戦を視察した原委員長は、ザッケローニ氏の来日に関しては「ノーコメント」と言及を避けた。だが、交渉については候補者は1人とした上で「最後の大詰め。本当に細かいところの調整です。お互いに歩み寄っている。(日本で監督をしたい意向は)それは強いです」と説明。「われわれがいいと思っている人と(正式契約に)近づいている。日本の事情も大筋で理解してもらった」と条件面で大筋合意に達したことを示唆した。
 W杯招致活動のため成田空港から海外に出発した日本協会の小倉純二会長(72)も「最終的なところはお互い弁護士同士で話し合ってる。日本を理解してくれる人で申し分ない」と名前こそ出さなかったものの、ザッケローニ氏の就任を歓迎した。すでに、契約も単年契約を随時、更新していく方向で調整中。最終的な確認作業が済み次第、早ければ30日にも正式に発表される。

 ◆アルベルト・ザッケローニ 1953年4月1日、イタリア・メルドラ生まれの57歳。30歳の83年に当時4部のチェゼナーティコの下部組織で監督業をスタート。95年から指揮したウディネーゼではセリエA昇格、97~98シーズンに3位でUEFA杯出場権を獲得。その成績が認められ、98~99シーズンにACミランの監督に就任。1年目でスクデットを獲得して年間最優秀監督に選ばれた。01~02年ラツィオ、03~04年インテル・ミラノ、06年に当時、大黒(FC東京)が所属していたトリノ、10年途中からはユベントスを率いたが7位に終わった。大のインテリスタ(インテルのファン)。


 サッカー日本代表の次期監督に就任するアルベルト・ザッケローニ氏はイタリア・セリエAの名将として知られ、名門ACミランを率いて98~99年シーズンにはスクデット(リーグ制覇)を獲得。その後もラツィオ、インテル・ミラノなど強豪チームを指揮し、昨季もシーズン途中からユベントスを率いた。

 だが、最も評価されているのは、95年から98年までのウディネーゼ監督時代に発揮した手腕だ。地方の弱小クラブながら、攻撃的なサッカーを展開。ビアホフ(元ドイツ代表FW)、アモローゾ(元ブラジル代表FW)らを擁した97~98年シーズンには、強豪ひしめくセリエAで3位に食い込み、UEFA杯(現欧州リーグ)の出場権を獲得した。ビッグクラブ以外での実績も求めていた原委員長の監督像にザッケローニ氏はマッチしていた。

 ザッケローニ氏は正式契約を結び次第、9月2日からの日本代表合宿と同4日と7日に行われるキリンチャレンジ杯2試合を視察することになる。原代行監督の人選で構成された新生日本代表だが、大事な"初戦"に何とか体裁を整えた形となった。14年W杯ブラジル大会に向けて、史上初のイタリア人監督で日本代表が走り出す。


 イタリア出身のザッケローニ氏だが、カテナチオ(堅守)で知られるイタリア代表の戦術とは対照的に、これまで指揮したクラブでは大胆で攻撃的な戦術を導入している。 

 30歳で指導者のキャリアをスタート。95年から指揮したウディネーゼでは、当時イタリアでは革新的だった3―4―3を導入した。3トップの中央には長身FWを置き、両ウイングなどサイドからのクロスで多くのチャンスをつくった。98年に就任したACミランでも同じ3―4―3を採用し、当時のベルルスコーニ会長からは4バックに戻すことを命じられたが、信念を曲げることなく3バックを貫いた。

 その後は4―3―3など選手構成に応じて4バックも採用しているが、3トップとサイドを有効に使う戦術はほとんど変えていない。06年のトリノ監督時代には大黒(現FC東京)を指導した経験もあり、日本人選手の特徴もつかんでいる。ただ、ミランでの優勝以降、目立った結果を出していないため、イタリアでは"過去の名将"との声も聞かれる。


 30日付のイタリア紙レプブリカは、サッカーの同国1部リーグ(セリエA)のACミランやユベントスを率いた経験を持つアルベルト・ザッケローニ氏(57)が、日本代表次期監督の契約締結のため、日本へ向かったと報じた。

 同紙はザッケローニ氏が日本代表監督就任まで「あと一歩と迫った」とし、条件面については236万ドル(約2億円)の2年契約で、2年間延長のオプションが付いていると報じた。公式大会での初采配は、来年1月のアジア・カップ(カタール)と紹介している。

 交渉の窓口になっている日本サッカー協会の原博実強化担当技術委員長は30日、名前は明かさなかったが「(交渉は)最終局面。お互いの弁護士を通じて細かい部分のやりとりをしている」と状況を説明した。(共同)

 サッカーの次期日本代表監督に、元アルゼンチン代表監督のホセ・ペケルマン氏(60)の就任が決定的になった。30日にも発表される。日本協会はW杯南アフリカ大会終了直後から、原博実強化担当技術委員長(51)が岡田武史監督(54)の後任の人選を進めていたが、交渉が不慣れなことから大幅に遅れていた。新生日本代表のスタートとなる9月4日のパラグアイ戦(日産ス)、同7日のグアテマラ戦(長居)は原委員長が代行監督を務めるが、ペケルマン氏は同2日の代表招集に合わせて来日する予定。ようやく新生日本の顔が決まったことになる。

 遅れに遅れていた新生日本代表の指揮官として、名将ペケルマン氏の就任が決定的となった。原委員長はこの日、個人名は避けながら「彼も日本に来たい、やりたいと思っているし、こっちもやってもらいたいと思っている。日本をリスペクトしているし、勉強熱心な方」とし、正式決定間近を認めた。

 現状ではサインはしていないが、大筋で合意しており、30日にも協会がペケルマン監督就任を発表する見通し。既に両者で弁護士、税理士を交え細部を詰めており、ここから破談となる可能性は極めて小さい。W杯招致活動のため渡欧した小倉会長も「皆さんに喜んでもらえるような人。お互いに弁護士を立てて交渉しているのは1人。日本を理解していて、私も知っている人」と、ようやく決まった後任監督にいつになく冗舌だった。

 原委員長は去年の秋から情報収集を進めていた。その中で、02年W杯日韓大会でアルゼンチン代表チームを統括する立場で来日し、06年ドイツ大会では同代表監督としてチームを8強に導いたペケルマン氏への評価は最上級だった。「ああいう人に監督をやってもらいたい」。5月末、W杯南アフリカ大会を直前に、原委員長はペケルマン氏の温和な人間性、指導力を別格視していた。

 5月に身辺調査をはじめ、6月のW杯本大会中にペケルマン氏と接触を持った。世界的指導者のペケルマン氏には、オーストラリア、アルジェリア、コートジボワール、ペルー、エクアドルなど強豪国が続々と代表監督のオファーを出し、その中で日本の存在感は薄れていた。

 一方、原委員長は元レアル監督ペジェグリニ氏、現オリンピアコスのバルベルデ監督らをリストアップ。7月下旬に南米を訪れた際、再度ペケルマン氏とも接触し、日本居住への好感触を得ていた。交渉のタイミングを考慮して、ペジェグリニ氏らを優先していたが、常にペケルマン氏とは連絡を保ち、良好な関係を維持していた。

 原委員長の手際の悪さで、ペジェグリニ氏らとの交渉が決裂した直後の8月20日ごろ、再び日本協会側がペケルマン氏へ日本代表監督就任を打診。その後、ほぼ連日の交渉を続け、27日には、ペケルマンサイドが「実は日本協会とコンタクトを持っている。監督になってもらいたいと言われており交渉中。今日、明日中に話し合い、その結果で状況が変わる」と、合意への流れを認めていた。またマティルデ夫人も「日本でもどこでも、夫が決めたところにはどこにでもついて行く」と、習慣の異なる日本での生活にも不安はない。

 W杯南アフリカ大会でベスト16に入り、国民的な関心を集めた日本サッカーは、協会の不手際で長く代表監督不在という異常事態を、名将ペケルマン誕生でようやく解消できる。名将を得たメリットが、今回の混乱のデメリットを補えるか。すべては育成のスペシャリストの双肩にかかる。



 ◆ホセ・ペケルマン 1949年9月3日、アルゼンチン生まれ。現役時代はMFで、78年に引退。引退後は、ブエノスアイレスでタクシー運転手のアルバイトをして生計を立てた時期もあった。指導者として82年に同国のチャカリタ・ジュニオルスのユース監督就任を皮切りに、コロンビアの名門コロコロのユース監督など、若い年代の指導が多かった。94年にアルゼンチンユース代表監督に就任し、95、97、01年ワールドユース選手権(現U-20W杯)優勝。若手育成のスペシャリストで、リケルメ、サビオラらを発掘、育成した。

 04年9月にアルゼンチン代表監督に就任。06年W杯ドイツ大会の指揮を執り、当時18歳のメッシを抜てき。準々決勝でドイツにPK戦負けした。大会後、同代表監督を辞任し、07年からメキシコのクラブ2チームを率いたが、現在はフリー。華麗なパス回しの攻撃サッカーが信条。

 俳優の玉木宏(30)と加藤ローサ(25)の“復活愛”が明らかになった。26日発売の写真誌「フライデー」で報じられている。

 同誌は8月に玉木が自宅前で、青いプジョーに乗るローサと母親をお見送りする姿をキャッチ。さらに5月にはローサが自宅前で玉木のベンツに乗り込み、取材陣を警戒するようにUターンなどトリッキーな運転を繰り返したのち、玉木の家の中に消えたとも。今月は何度も友人を交えたデートを繰り返していると報じており、お互いの親が公認する真剣交際としている。

 2人は04年に雑誌の共演を機に知り合い、同年、女性週刊誌で熱愛が報じられた。この時も、お互いの親も公認の真剣交際で、07年、ローサの22歳の誕生日翌日の6月23日には、双方の親を交えて、4人で焼き肉を食べに行った写真も掲載。一部では結婚間近とも言われていた。

 だが、食事会からほどなくして2人は破局。その直後の7月、今度はローサと人気グループ・KAT―TUNの赤西仁(26)の熱愛がフライデーに報じられた。

 その後、ローサと赤西は破局。一方の玉木も島谷ひとみ、吉高由里子らとの熱愛が報じられたが、5月に行われた携帯電話の新商品発表会では「今はフリー」と公言していた。ちょうどそのころからローサとの交際が復活したとみられている。

 3年ぶりの復活愛。双方の親も認める仲だけにゴールインの可能性は少なくないが、ローサの所属事務所は「確かに家族同士で仲が良いですが、あくまでも友人と聞いております」とコメント。玉木の所属事務所はこの件についてコメントしなかった。

 ◆玉木 宏(たまき・ひろし)本名同じ。1980年1月14日、名古屋市生まれ。30歳。98年にテレ朝系ドラマ「せつない」で俳優デビューし、01年に映画「ウォーターボーイズ」でブレーク。主な作品にNHK「こころ」、フジ系「のだめカンタービレ」など。04年には「Seasons」で歌手デビュー。身長180センチ。血液型A。

 ◆加藤 ローサ(かとう・ろーさ)本名同じ。1985年6月22日、鹿児島県生まれ。25歳。父親がイタリア人、母親が日本人。高校在学中にモデルとしてデビューし、05年に雑誌「ゼクシィ」CMで人気に。06年に「シムソンズ」で映画初主演し、07年にテレ朝系「女帝」で連ドラに初主演。身長160センチ。血液型A。





 2007年に交際が伝えられていた玉木宏(30)と加藤ローサ(25)が、いつの間にか復縁していたという。27日発売の「フライデー」(講談社)では、「玉木宏、加藤ローサ「真夏の夜の復活愛」-赤西仁との仁義なき戦いから3年」と題して4ページにわたり二人の復活劇を報じている。

 この二人、交際が発覚したのは07年5月。その年の初め、玉木は「恋人はいます」と宣言しており、お相手が誰なのか注目が集まっている矢先であった。男性向けファッション誌の撮影を通じて知り合い、05年頃から交際していたという二人。玉木はローサが家族と共に暮らす自宅から徒歩10分ほどのマンションに引っ越し、愛を育んでいたのだが、スキを見て割り込んだKAT-TUNイチのモテ男・赤西仁(26)がローサに横恋慕し、二人の恋は終局を迎えたと思われていた。

 ところが「フライデー」では、この夏、再びローサと玉木が互いの家を行き来しており、家族ぐるみの交際を復活させたという。このまま結婚に向かって突き進む可能性にも触れられているが、一体なぜ今、3年前のやけぼっくいに火が点いたのだろうか?

「ローサの方から再び接近を試みていたようです」

 と話すのは、某テレビ局のディレクターである。

「彼女、玉木と別れて赤西と付き合ったものの、全然うまくいかなかった。しかもその後、芸人の今田耕治との相合い傘デートを撮影され、若手女優としての株もずいぶん落としてしまいました。そもそもコレといった代表作・ヒット作もない彼女を起用し続ける理由もないですからね。若くて演技もできる女優は彼女の世代には大勢います。ゴールデン枠のドラマでヒロインを演じてきたにもかかわらず、今年は深夜枠のドラマでの主演起用でした。彼女の最大のヒットは04年に大ブレイクしたゼクシィのCMでしょ」(テレビ局関係者)

 一方の玉木は、ドラマや映画『のだめカンタービレ』のヒット以降、CMでも引っ張りだこ。つまり、玉木と別れてから仕事も恋愛も鳴かず飛ばずのローサが、絶好調の玉木にモーションをかけたというのである。

 しかし、一度は別れた男女。しかも彼女は別の男に乗り換えてしまった女だ。そんな元カノの誘いに、押しも押されぬモテ男の玉木が敢えてノるものだろうか?
「ローサとの破局後、島谷ひとみや吉高由里子とのデートが目撃された玉木ですが、本音ではローサにずっと未練を残していた。何しろ3年も付き合っていた彼女ですし、彼がまだ売れっ子でない苦労時代も彼女は知っている。チ●コにローサの名前をタトゥーで彫ったというウワサも流れるほど、彼はローサに夢中だったんです。そんな彼女から改めて連絡をもらえばノらざるを得ないでしょう。ローサの方も、単に落ち目だからというだけでなく、自身の名前を身体に彫るほど愛してくれていた彼の大切さに、やっと気付いたということかもしれません」(芸能ライター)

 だが、その一方で、玉木にはゲイまたはバイだという説も根強かった。若かりし頃の玉木はセックス依存症に陥っており、ローサとの恋愛中も男女問わず度重なる浮気をし、ついに彼女に見捨てられたのだ......という説である。このウワサは、実際にホームパーティーなどで玉木と面識のあるという一般女性複数人の間から広まっていったとされている。

 また、彼の事務所社長はあの"ジャニーズ"の葵テルヨシであり、ジャニー喜多川にホモセクハラを受けていたとされる人物。そのため、葵のスカウトを受けて入所した美木良介、風間トオル、細川茂樹などはゲイ疑惑が絶えない。ただ、つい先日、これまたアツいゲイ疑惑のあった織田裕二が一般女性と結婚し、疑惑を払拭した。

「玉木本人も、自分がヘンな疑惑をかけられていることは知っているようで(苦笑)、それを吹っ切るためにも、最愛のローサとの結婚に前向きな姿勢を示しているそうです。年齢的にももう30歳で、アイドル俳優というトシではない。結婚したからといって両者共にデメリットはないですよ」(前同)

 復縁からのスピード電撃婚の可能性も、高いかもしれない。

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――芸能界を牛耳る巨大アイドル帝国・ジャニーズ事務所。ジャニー喜多川社長率いる、この帝国からは数々のスターが誕生した。郷ひろみ、近藤真彦、田原俊彦、少年隊、光GENJI、SMAP、そして嵐――。しかし、この帝国の内政が語られることは決してない。鉄のベールに包まれた帝国の光と闇を、数々の ジャニーズ非公式本から探っていく。

 ジャニーズ暴露本の歴史の中で、ジャニー喜多川の変態性をもっとも生々しく描写し、ジャニーズ事務所の異常なタレント育成環境を詳細に綴っているのが、この『Smapへ』(鹿砦社、2005年)である。

 著者の木山将吾氏は、「元・光GENJI」とされている。そんなメンバーいたっけ? と思われるのも無理はない。彼は、ジャニー喜多川の寵愛を受けて光GENJI入りが決まり、ポスター撮りまで済ませていたものの、"ある出来事"をきっかけにデビュー直前にメンバーから外された、幻のメンバーなのである。

 当時、木山氏はジャニー氏一番のお気に入りで、取材陣の前でも膝の上に座らされ、食事もジャニー氏の手で口に運んでもらっていたという。そして、夜はジャニー氏の欲望の捌け口として濃密過ぎる時間を過ごしていたというのだ。彼は、そんな生活を余儀なくされた15~17歳の2年間を振り返り、「ジャニー喜多川の愛人だった」「性の奴隷だった」と表現している。

 しかし、木山氏の告白は、「愛人」「奴隷」という言葉が生易しく聞こえてしまうほどの、まさに地獄以上の体験に満ちているのだ。

 初めて合宿所を訪ねたその日に、ジャニー氏と一緒に風呂に入らされ、全身をくまなく洗われる"泡風呂の儀式"と、入念なマッサージの洗礼を受けた木山氏。なんかおかしいなと思いながらも、デビューをほのめかすジャニー氏の言葉に酔いしれ、大きな問題としてとらえようとしなかったという。

■「これだけのことに我慢したら、アイドルとして成功しなければ」

 そんな木山氏に、ジャニー氏がその毒牙を剥き出しにして襲い掛かるのに、時間はかからなかったようだ。二回目に合宿所を訪ねると、ジャニー氏は木山氏を後ろから抱きしめ、硬くなった股間を"まるで発情した犬のように"太ももに擦り付けてきたという。そして、そのまま擦りつけ続け、なんと服を着たままズボンの中で果ててしまったというのだ。

 そして三回目に訪ねたときには、ジュニアたちが寝泊りする大部屋で舌技をしかけられ、木山氏はその口に発射してしまうことになる。一回目の"泡風呂の儀式"のときに、「すぐにデビューだよ。雑誌のインタビューがあるからね」と言っていたジャニー氏は、本当に、その直後に、木山氏をアイドル誌の取材で雑誌デビューさせていたという。

ジャニーさんはそれをゴクリと飲み込んだ。(中略)相手は六十歳の男だった。でも、それが、この合宿所では当然の夜の儀式だった。タレントとしてデビューするための......。

 その後は、どこへ行くにもベッタリで自らが運転する車の中でも、ジャニー氏は助手席の木山氏の体を触りまくり、「キス! キスしてきなさい」とせがんできたという。

 ついに一線を越えてしまうのは、木山氏がテレビに出始めたころ。いつものようにジャニー氏の舌技で、あっさりと一本抜かれてしまったが、その日のジャニー氏はそれで満足することはなく、再び、木山氏の分身に力をみなぎらせると、馬乗りになって自らの中に木山氏の分身をめり込ませ、「ああ~ん、ああ~ん」と嬌声をあげていたというのだ。これを機に、さらにジャニー氏は木山氏を特別視するようになり、さらに濃厚なプレイを強要され、木山氏もそれに従ったという。

こんな不幸がデビューには必要なのか......トシちゃんよ、少年隊よ、忍者よ、男闘呼組よ、みんな本当によく我慢したな......これだけのことに我慢したら、アイドルとしてがんばるしかないだろう。成功しなければ、自分のプライドを取り戻せない

 そう思いながら、木山氏は陵辱に耐え続け、ついに光GENJIとしてのデビューという夢へのチケットを手に掴んだ。しかし、その夢は、木山氏の手からスルリと零れ落ちることとなってしまう。きっかけは、諸星和己のこんな言葉だったという。

「次は木山くんだから。注射打たれる番」

 ジャニー氏の部屋にはよく分からない薬品と注射器がいつもあり、それが一体、なんの薬なのか知らされることもないまま、デビューが決まったタレントは強制的に、その注射を打たれていたというのだ。

■一体、その注射はなんなのか? 現在のタレントたちも、打たれているのか?

 地獄のようなホモ行為には耐え続けてきた木山氏だったが、「ホルモン剤」とも「覚せい剤」とも噂されていたその不気味な注射を受け入れることはできず、合宿所に行かなくなると、ジャニー氏からのお呼びもかからなくなり、すでに撮影済みだった光GENJIのポスターは、木山氏の写った右端をカットした形で発表され、その存在は"無かったもの"にされたという。

 ほかにも、ジュニアたちを裸にひん剥いて四つん這いにさせて一列に並べ、肛門のアップ写真を撮影し、興奮して肛門に舌を這わすジャニー氏、裏ビデオを合宿所に持ち込み、「見ろ! 女のおま○この醜さを!」と繰り返すジャニー氏、盗聴器を仕掛けたり、トイレをのぞくジャニー氏、タレントの陰毛を集めるジャニー氏......ほかにも、都市伝説でしかなかったジャニー氏の、想像以上の変態性がリアルに描かれているのだ。

 木山氏は、執筆当時に話題になっていたマイケル・ジャクソンの少年への性的虐待事件を引き合いに出しているが、マイケルは昨年6月に非業の死を遂げ、様々に再検証が行われた結果、現在では潔白とされ、その存在のすべてが伝説として語り継がれることとなっている。

 間もなく80歳になるジャニー氏が現役でいられるのも、あと数年だろう。そのとき、彼はどのように語られるのか。"稀代のアイドルメーカー"として伝説になる前に、そのすべてをもう一度、しっかりと検証すべきではないだろうか。

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福山雅治の通算26枚目のシングル「蛍/少年」が発売1週目で15.8万枚を売り上げ、8/23付週間シングルランキング初登場首位を獲得した。福山のシングル首位は、昨年5月発売の「化身」から3作連続、通算12作目で、宇多田ヒカルが2007年2月発売の「Flavor Of Life 」で達成したシンガー・ソングライターの最多首位獲得数に並び、歴代1位タイ記録となった。

 12作目の首位は、男性ソロアーティストとしては、近藤真彦の16作に次いで歴代2位記録で、田原俊彦に並ぶ。これでデビューした90年代、00年代に続き、2010年代でも首位獲得となり、3年代連続首位は、男性ソロアーティストとしては、B’z・稲葉浩志に続く史上2人目の達成となった。

 今作は、昨年12月の「はつ恋」以来8ヵ月ぶりのニューシングル。吉高由里子主演ドラマ『美丘-君がいた日々-』(日本テレビ系)主題歌の「蛍」、東芝液晶テレビ『REGZA』CMソングの「少年」、本人出演のアサヒビール『アサヒスーパードライ』のCMソング「Revolution//Evolution」の、タイアップソング3曲を収録。また、CDジャケットに関し、「最近、女優さんたちがブログですっぴんを公開しているのに対抗してみました。ヒゲはちょっと直してますけど」と明かしているとおり、“すっぴん”を披露。CDタイトルも本人の直筆となっている。

ちなみに、福山雅治「蛍/少年」の初日売上は5.0万枚。続きを読む

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