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2008年02月

 歌舞伎俳優の中村獅童と女優の竹内結子が29日(金)、正式に離婚が成立したことが分かった。

 中村は直筆署名入りのFAXで「父親として、子供の人生をより大切に考えながら、役者として一歩一歩謙虚に邁進していきたいと思っております」と綴った。この日、中村は東京・杉並区役所に弁護士と共に赴き、離婚届を提出。親権は竹内側に委ねられるという。

 2人は映画『いま、会いにゆきます』での共演を機に05年6月に結婚。すでに竹内は妊娠しており、同年11月に長男を出産。その後は家族3人で暮らしていたが、獅童の飲酒騒動で夫婦の間に亀裂が入った。さらに獅童が岡本綾の同乗をごまかして発表していたことや、06年9月に獅童と女優・高岡早紀の深夜デートが報じられたことで、離婚は決定的となっていた。




 女優・竹内結子(27)と歌舞伎俳優・中村獅童(35)が29日、都内の区役所に離婚届を提出した。

 2人は04年の映画「いま、会いにゆきます」の共演のきっかけに知り合い、05年6月に結婚。同年11月に男児が生まれたが、06年10月に竹内が家を出て別居し、獅童に離婚届を送付していたことが発覚。その後、子供の親権などをめぐり対立し、3年越しで離婚調停を重ねたが、このほど、竹内が親権を有し、獅童は定期的に面会する権利を持つことなどで合意したという。




 別居していた女優・竹内結子(27)と歌舞伎俳優・中村獅童(35)が2月29日、都内の区役所に離婚届を提出した。2人は04年の映画共演で知り合い05年6月に結婚。同年11月に男児が生まれたが、06年10月には竹内が家を出て、獅童に離婚届を送付したことが発覚した。その後、子供の親権をめぐり長く対立したが、このほど、竹内が親権を有し、獅童は定期的に面会する権利を持つことで離婚合意した。

 3年越しの離婚騒動に獅童は自らの手でけじめをつけた。この日午前、獅童と双方の弁護士とともに3人で東京・杉並区役所に出向き、離婚届を提出した。獅童は終始、淡々とした様子だったという。

 夕方にはファクスで所属事務所を通じてそれぞれがコメントを発表した。竹内は「これからも子供の人生を第一に考えながら、女優としても新たな気持ちで一生懸命取り組んでゆく所存です」。獅童も「父親として、子供の人生をより大切に考えながら、役者として一歩一歩謙虚にまい進していきたいと思っております」とコメントした。

 離婚に際し、これまで最大の懸案だった男児の親権については竹内側が持つことで合意した。その代わり獅童は定期的に面会する権利を持つこととし、獅童は月々30万~50万円とみられる養育費を竹内に払う。さらに、獅童が竹内との結婚生活について語らないことも条件になったという。

 2人は04年の映画「いま、会いにゆきます」に夫婦役で共演したのをきっかけに交際を深め、05年6月に結婚した。同年11月に男児が誕生したが、その後、獅童の女性問題や嫁姑(しゅうとめ)問題が報じられ、夫婦危機説が伝えられた。06年7月に獅童が飲酒運転と信号無視で書類送検されたことで溝は決定的となり、その際に元女優が同乗していたことも後に判明、亀裂に拍車をかけた。同年10月に竹内が子供を連れて家を出て別居し、獅童に離婚届を送付したことが発覚した。

 2人の関係は修復不可能な状態だったが、男児の親権をめぐり対立した。男児を将来的に歌舞伎俳優として育てたいとする獅童側と、自分のもとで育てたい竹内側の間で綱引きが続き、離婚調停を重ねてきたが、離婚の危機発覚から1年4カ月で合意に達した。

 竹内は化粧品のCMや映画「チーム・バチスタの栄光」、放送中のドラマ「薔薇のない花屋」で女優業にフル回転。獅童も送検前後にドラマを降板したが、その後はドラマ「私は貝になりたい」に主演し、現在は音楽劇「トゥーランドット」のけいこに入るなど順調。互いに仕事が軌道に乗っていることも協議離婚に至った要因になったようだ。この日、竹内は「薔薇-」の収録で、獅童も離婚届提出後に「トゥーランドット」のけいこに参加したという。

 10日夜出火したソウル市の「南大門」(崇礼門)は、木造二層構造の楼閣のうち、一階部分のごく一部を残して全焼、崩壊した。韓国大手朝刊各紙が一面トップで火災を伝えるなど、韓国社会は600年の歴史を持つ国宝第1号の焼失に強い衝撃を受けている。

 消防や警察、韓国メディアなどによれば、出火したのは10日午後9時前。消防車約40台などが出動した。一時は鎮火したかに見えたが、二階内部に残った火種が再び広がり、11日未明には崩落が始まった。朝鮮王朝時代の複雑な木造建築 で、放水が内部になかなか届かず、初期消火に失敗。途中から瓦や柱の解体も試みたが、間に合わなかったという。

 また、通信社の聯合ニュースは、文化財庁から「文化財を痛めないように、慎重に消火してほしい」という要請があったため、積極的な鎮火作業に踏み切れなかったとする、消防関係者の発言を紹介した。

 一方、韓国テレビ各社は未明まで、火災の模様を生中継で放送。「我々の自尊心が失われた」「どうして火災を防げなかったのか」などと嘆く現場の市民の声を伝えた。大手紙も「崇礼門が全焼崩壊」(東亜日報)、「国宝1号も守れない韓国」(中央日報)などと大々的に報じた。


 韓国の国宝第1号で代表的な名所として知られるソウル市の「南大門」(崇礼門)の楼閣部分で10日夜、火災が発生し、門全体が白煙に包まれた。韓国メディアによれば、火災原因は不明だが放火の可能性もある。

 通信社の聯合ニュースは、買い物袋を持った50代とみられる男性が南大門を上って行く様子を目撃したという運転手の話を伝えた。11日未明には、炎上した楼閣の2階部分が崩落を始めた。

 南大門は1398年、朝鮮王朝の城内への主要関門とされた東西南北の大門の一つとして創建された。周辺には南大門市場ができ、観光名所としてにぎわっている。


 韓国警察当局は11日午前、全焼したソウル市の「南大門」(崇礼門)について、放火と漏電などによる失火の両面から捜査していることを明らかにした。ソウル市の南大門警察署によれば、出火当時の目撃者が3人いるものの、供述内容に食い違いが出ている。韓国メディアは南大門に登っていく不審な男性を見たという目撃証言を伝えているが、周辺に設置された監視カメラ(CCTV)からは確認されていないという。通常、南大門公園管理事務所の職員が午前10時から午後8時まで周辺に勤務しているが、出火当時は退勤した後だった。

 また、文化財庁や韓国メディアによれば、韓国政府は、06年に調査した図面を基に、焼失を免れた木材を使って南大門を復元する方針を決めた。復元には少なくとも2年以上の期間が必要で、200億ウォン(約22億7000万円)程度の費用がかかるという。

 一方、李明博次期大統領は11日午前、火災現場を訪れた。関係者の説明を受けると、「象徴的な場所だけに、国民の心が痛むだろう」と語った。



  崇礼門は朝鮮時代である1398年に創建された。ソウルにある木造建築物の中で最古だ。 

  10日午後8時40分ごろ、崇礼門で放火とみられる火災が発生した。首都のど真ん中で起きたこの火災は11日夜遅くまで続いた。初期火災鎮圧に失敗したためだ。消防当局と文化財庁の安易な対応で、国宝1号が消えてしまったのだ。 

  一時火は消し止められたように見えた。しかし11日0時になるとさらに激しく炎上、一歩遅れて消防当局は屋根をはずして放水しようとしたが、炎が崇礼門全体を覆うと断念した。 

  出動した消防車50台余りと消防署員150人がはしごやホースなどを利用して水による鎮火作業を試みたが、火災発生4時間後に崩壊が始まった。 

  11日0時40分、樓閣2階と屋根が崩れ落ちた。時間が経過し、骨組みだけ残して形がわからなくなるほど崩壊が進んだ。消防関係者は「指針で文化財庁と協議の下、鎮火作業を行うことになっている。これにより文化財庁と協議を経た後で、ようやく屋根を取り除けることになったため、火を消し止められなかった」と話した。 

  個人タクシー運転手イ・サングォンさん(44)は「午後8時40分ごろ短髪にミリタリージャンパーと黒の登山用ズボンをはいた50代ほどの男が紙袋を持って崇礼門のそばの階段を登っていた」と話した。イさんは「1~2分後、崇礼門左側の1階樓閣と2階樓閣の間から赤い花火が上がった」とし「崇礼門に上がった男は火花が起こると階段を下り、南山の方に消えた」と付け加えた。警察は目撃者の陳述から放火である可能性が高いものとみて捜査を進めている。 

  ◇崇礼門(南大門)=1962年12月、国宝1号に指定された国内を代表する文化財だ。漢陽都城の8門のうち最も重要な正門であり、現存する国内城門建物としても最も規模が大きい。現在、ソウルに残っている木造建物のうちで最も古いものだ。朝鮮王朝が漢陽に遷都後、1395年(太祖4年)に建築を始め、1398年に完工された。2005年5月、崇礼門周辺に広場が造成され、2006年3月、虹霓門が一般に開放された。 



  目の前で国宝1号の崇礼門(スンレムン、南大門)が火災で崩れ落ちる姿を見る市民らは悲しみを隠すことができなかった。 

  現場で火災を見ていた市民ペク・テギョンさん(53、ソウル中区)は「大韓民国の国宝1号がこのように崩れるとは私まで崩れてしまいそうだ」と話した。「幼いころから崇礼門を見ながら暮らしてきたのに、もう見られないと思うと涙が出る。いったい管理をどのようにしてきたのか」と嘆いた。 

  崇礼門が燃え落ちる様子をテレビで見てかけつけたというユン・ジョンさん(28、ソウル竜山区)は「わずか数時間前にバスで通り過ぎたときには何でもなかった崇礼門が、崩壊してしまうとはとても信じられない」とし「夢ならいいのに」と話した。 

  京畿道平沢(キョンギド・ピョンテク)から家族と南大門市場へショッピングに来て火災現場を目撃したキム・スンスさん(34)は「普段はわからなかったが、こうして崩れ落ちてしまうとあらためて文化財の大切さを知る思いだ」とし「国を代表する文化財の崇礼門を必ず復元し、本来の姿を取り戻してほしい」と強調した。 

  インターネットでも崇礼門崩壊を惜しむネットユーザーの書き込みが続いた。特に崇礼門の屋根に火が上がり始めた深夜12時ごろから、ジョインスなどインターネット関連ニュースサイトには深夜にもかかわらずまたたく間に多くの書き込みが掲載された。 

  「数十台の消防車が出動し、簡単に消せたはずの火災が、時間が経つほど大きくなっていくのが理解できない」という反応を見せた。 

  ジョインスドットコム(www.joins.com)にアクセスしたあるネットユーザーは「消防車が動員され、鎮火に向かっていたところを安易に対処したために崇礼門が崩壊に至ったというのがまったく理解できない」と書いた。 

  消防署員らが初動対処を疎かにしたことに対する怒りと無念さを表した人も多かった。ある女性は「米国で9・11同時多発テロで崩れるのを知りながらも火に飛び込んだ消防署員らを忘れたか」とし、消防署員らの積極的鎮火姿勢に不満を示した。また「屋根の内側から火が出ているのに、外からばかり水をかけて消せるとでも思うのか」と批判もあった。



  10日夜から11日未明にかけて国宝第1号の崇礼門が火に包まれた。これとともに文化財管理の問題点を指摘する声が高まっている。 

  1907年、日帝は崇礼門と連なっていた城郭を壊し、周囲に道路を作って孤立させた。棄損の心配はほとんどなかった。また崇礼門の周辺は道路で囲まれているため一般市民が近づくのは容易ではなかった。2006年3月に100年ぶりに開放されたが、1階のみ開放を限定したため破損される確率は高くなかった。 

  これまでの事件としては91年8月、酒に酔った50代の男が盗んだ乗用車に乗り崇礼門の出入口に突進して門を破損するという事件があった。また、97年2月にもやはり泥酔した30代の男が日本人観光客とともに写真を撮影しようと統制区域の中へ侵入して逮捕される事件があっただけだ。 

  したがって今回の火災の責任は文化財庁をはじめとし中区庁、警察に集中している。焼けた崇礼門には1、2階に消火器8台しか配置されていなかった。そのほかに消防感知器などは設けられていなかった。 

  特に一般開放後、監視体系が粗末で誰でも崇礼門に侵入できるという点も事故の原因として指摘されている。開放時間の午前10時から午後8時以外の入場が摘発されても軽犯罪処罰法によって罰金2万ウォン(約2270円)が適用されるだけだ。 



  10日夜、ソウル中区南大門路にある崇礼門(スンレムン)で発生した火災について、ソウル消防本部と文化財庁は11日午前、火災現場でブリーフィングを開き「初期鎮圧に最善を尽くしたので鎮火上、失敗だと考えていない」と明らかにした。 

  チョン・ジョンギソウル消防本部長は「今回の火災は初期に鎮火できていればよかったが、崇礼門上層部の瓦の中に土があり、鎮火が難しかった」とし「初期に火災鎮圧できなかったのが何より残念」と話した。 

  チョン本部長は続いて「瓦の解体作業が遅れた上、冬で水が凍結していた」とし「また瓦に傾斜があり、初期鎮圧が困難だった」と付け加えた。

  文化財庁と消防防災庁間で衝突事項があったという疑惑には文化財庁のキム・サング建築課長は「そんなことはなかった。協議はしたが、装備がない上、人も不足し、素早く対応ができなかった」と説明した。 

  またキム課長は初期鎮圧装置が設置されていなかった理由を聞かれたことに対し、文化財棄損の問題が発生するためだと明らかにした。 

  「文化財内部にスプリンクラーのような消防施設を設置すれば文化財が壊れる可能性がある。崇礼門がソウル市内の中央にあり、1分以内で消防署出動が可能だから設置をしなかった」と話した。



 【ソウル=平野真一】10日夜に出火したソウル市中心部の観光名所、南大門(正式名称「崇礼門」)は約5時間後の11日未明、木造2階建て延べ約177平方メートルの楼閣が全焼、石組みの土台を残してほぼ全面的に崩壊した。

 朝鮮王朝時代の1398年に完成し、ソウルに現存する最古の木造建造物として国宝第1号に指定されていた南大門の焼失に、国民は強い衝撃を受けている。

 一方、警察当局は、出火直後に立ち入り禁止となっている楼閣から出てきた不審な人物が目撃されていることから、放火の疑いが強いと見て捜査している。

 火災は楼閣2階の瓦屋根の内側から発生したと推定されている。消防当局はポンプ車、はしご車など32台を出動させて消火に当たり、一時はほぼ鎮火したかに見えたが、屋根に残っていた火が楼閣に燃え広がり、門全体が炎と白煙に包まれた。11日午前1時過ぎ、屋根の一部が崩壊したのに続き、同2時前には楼閣の1、2階部分もほとんどが崩れ落ち、現場を遠巻きにしていた市民から悲鳴が上がった。

 聯合ニュースによれば、消防当局が国宝を管理する文化財庁から、全焼を防ぐために建物の一部を壊す許可を取るのに約45分かかったことも、初期消火が遅れる原因となった。

 2006年春に門の下の通路が一般に開放された後も、楼閣は立ち入り禁止となっていた。ただ、午後8時以降は無人警備システムがあるだけで、無断立ち入りをチェックする体制は取られていなかった。



 【ソウル11日共同】ソウル中心部に位置する韓国国宝の南大門(正式名・崇礼門)の火災は11日未明、出火から約5時間半で鎮火した。石造りの土台の上に立つ木造の楼閣の2階部分は完全に崩壊し、1階部分も激しく損壊、韓国メディアは「全焼」と伝えた。 

 初期消火に当たった消防隊員が楼閣2階の出火現場とみられる場所で使い捨てライター2個を目撃していることや、出火直前に不審な男を見たとの情報が3件寄せられていることなどから、警察は放火の可能性があるとみて捜査している。聯合ニュースは11日、警察当局が南大門への放火の疑いで、70歳の男の身柄を確保したと伝えた。

 警察と消防は合同で本格的な現場検証を実施、現場周辺に設置された監視カメラの映像の分析作業も進んでいる。

 政府は11日午前、韓悳洙首相の主宰で対策会議を開き、再発防止策などを論議。李明博次期大統領も現場を視察した。

 YTNテレビなどは、初期消火の失敗で被害が拡大したと指摘。文化財庁から慎重な消火作業を要請された消防当局が当初、徹底した放水や延焼防止措置を取らず、対応が後手に回ったと報じた。

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 法務省は1日、東京、大阪、福岡の各拘置所で同日午前、殺人罪などで死刑が確定した持田孝死刑囚(65)ら3人の刑を執行したと発表した。

 死刑執行は、昨年12月7日に3人が執行されて以来で、鳩山法相が就任してから2度目。前回の執行からわずか55日しか経過しておらず、後藤田正晴法相(当時)が1993年に死刑を再開して以降の15年間で、執行間隔としては最短となった。

 同省は前回の執行時に初めて死刑囚の氏名公表に踏み切ったが、今回も同様に、氏名と執行場所、犯罪事実の概要を公表した。同省によると、この日の執行により、死刑確定者は107人から104人になった。

 死刑が執行されたのは、持田死刑囚(東京拘置所)のほか、松原正彦死刑囚(63)(大阪拘置所)、名古圭志(けいし)死刑囚(37)(福岡拘置所)。

 持田死刑囚は89年12月、東京都江東区で女性会社員に対する婦女暴行傷害事件を起こし、懲役7年の判決が確定し、服役した。しかし、被害者が警察に届け出たことを逆恨みし、出所から2か月後の97年4月、帰宅した女性(当時44歳)を刺殺するなどした。被害者が1人だったことなどから1審は無期懲役としたが、2審は死刑とし、最高裁も支持した。

 松原死刑囚は、窃盗罪で服役し、仮出所中の88年4月、徳島県山川町(現吉野川市)の菓子業者宅に侵入し、帰宅した主婦(当時61歳)を絞殺。同年6月にも愛知県刈谷市の会社員宅で、主婦(当時44歳)を絞殺するなどした。

 名古死刑囚は2002年8月、鹿児島県伊仙町の兄の自宅で、兄の妻(当時40歳)と長女(同17歳)を包丁で刺して失血死させるなどした。

 鳩山法相は1日、法務省で記者会見し、前回から2か月足らずの執行について、「犯罪の凶悪化が進んでいる。インターバルとかタイミングを考えるより、刑事訴訟法の要請に近づけたほうがいい。再審、恩赦など様々な事由を精査し、粛々と執行した」と説明した。


 鳩山邦夫法相は1日、逆恨み殺人の持田孝死刑囚(65)ら3人の死刑を執行したと発表した。執行は昨年12月7日以来で、間隔はわずか56日。鳩山法相就任以降、死刑執行は2回目で、計6人。前回に続き、国会開会中の執行となった。

 ほかに執行されたのは、松原正彦(63)、名古圭志(37)両死刑囚。 


 法務省は1日、暴行した女性=当時(44)=が警察に通報したことを逆恨みし、服役後の1997年に刺殺した持田孝死刑囚(65)=東京拘置所=ら3人の死刑を執行した。昨年12月7日の前回執行からの期間は2カ月弱で、93年の死刑再開以来最短となった。

 法務省は前回と同様、執行された死刑囚の氏名と執行場所を公表。鳩山邦夫法相が自ら記者会見し「いずれの事件も身勝手な理由で尊い命を奪った残忍な事案。慎重な検討を加えた上で執行を命令した」と説明した。

 前回と同じく国会開会中の執行。死刑確定者が100人を超す中、定期的に執行を続ける法務省の姿勢が明確に表れた形だ。福田内閣での執行は2回目、計6人となり、いずれも鳩山法相が命令。今回の執行で死刑確定者は104人となった。

 持田死刑囚のほかに執行されたのは、松原正彦(63)=大阪拘置所、名古圭志(37)=福岡拘置所=の両死刑囚。判決確定から執行までの期間は、持田死刑囚が3年3カ月、松原死刑囚が10年9カ月、名古死刑囚が3年5カ月。

 確定判決によると、名古死刑囚は2002年、鹿児島県伊仙町(徳之島)の兄の家で、兄の妻=当時(40)=と長女=同(17)=の背中などを刺して失血死させ、二男にも重傷を負わせた。


 法務省は1日、3人の死刑を執行したと発表した。鳩山邦夫法相の下での執行は、昨年12月7日の執行に続き2回目。前回から2カ月未満という短期の執行となり、この日の執行後に鳩山法相が会見した。死刑確定者は1月末現在で107人で、3人の執行により104人となった。

 執行されたのは、1997年4月、逆恨みの末に女性1人を殺害した持田孝死刑囚(65)=東京拘置所=、88年に徳島県と愛知県刈谷市で留守中の民家に入り、帰宅した主婦2人を殺害して現金を奪った松原正彦死刑囚(63)=大阪拘置所=、鹿児島県・徳之島で母子3人を殺傷した名古(なご)圭志死刑囚(37)=福岡拘置所=の3人。

 持田死刑囚は東京都内で女性社員に乱暴したなどとして90年に懲役7年の判決を受け服役。「口止めしたのに警察に通報された」と逆恨みし、出所2カ月後の97年4月、女性宅のある都内の団地で女性を刺殺した。99年の1審は死刑求刑に対して無期懲役を言い渡したが、2000年の2審は1審判決を破棄し死刑に。上告審判決で最高裁は04年10月、2審を支持して上告を棄却、死刑が確定した。

 この逆恨みによる殺人事件は、加害者の出所予定情報について被害者側が知ることができる出所情報通知制度が01年に導入されるきっかけの1つになった。

廃止派は中止訴え 法相「今後も粛々と」

 存廃の論議のある死刑執行について「法相の署名なしに自動的にできるシステムがあれば」と発言して物議を醸した鳩山邦夫法相の下で、また死刑が執行された、昨年12月の前回から2ヶ月に満たない今回の執行は、「異例の早さ」と波紋を広げており、今後も早いペースで執行が続く可能性もある。

 昨年は全国の地裁、高裁、最高裁で死刑判決が1980年以来最多となっており、今回の死刑執行もこうした厳罰傾向の中で行われている。

 執行後に記者会見した鳩山法相は「前回とのインターバルは関係ない。死刑執行が国民の理解を得られるものとして、今後も粛々とやっていく」と述べた。

 一方、「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーらは前夜遅く、「近日中に死刑執行がある」との情報をつかみ、鳩山法相あてに執行中止を求める要請文を送付。死刑に反対する市民団体なども1日早朝から、東京拘置所前で執行反対のアピールをした。

 保坂展人衆院議員は「昨年は国連で死刑執行停止が決議された。日本は死刑廃止に向けた国際的な動きが進む中で死刑制度を置き続けている。法相の言う、死刑執行の公表が国民の死刑制度への理解となり、それで死刑制度が維持されるというものでもない。存廃の議論をしてほしい」と警鐘を鳴らす。

 法務省は昨年十二月の執行の際、初めて対象者の氏名と執行場所を公表した。鳩山法相は「事件被害者をはじめとする国民の『情報公開すべきだ』との要請が高まる中で、死刑が適正に執行されていることを示すことで、国民の理解を得られる」と述べたが、国連決議に対しては「死刑の存廃は各国の国民感情、犯罪情勢などを踏まえて独自に決定すべきだ。わが国では、国民世論の多数が凶悪犯罪には死刑もやむを得ないと考えている」と反論していた。

 愛知県の事件で、殺害された主婦の遺族の男性(68)は、「(死刑執行を)テレビのニュースで知って、いつも拝んでいる仏さまに報告しました」と話した。


 鳩山邦夫法相は1日午後の参院予算委員会で、国連が昨年12月に死刑執行の停止を求める決議を採択したことに関し「それぞれの国に考え方や世論がある。わが国は凶悪犯罪に厳しく当たるべきだというのが世論の大勢だ」と述べ、死刑制度は国民に支持されているとの認識を示した。社民党の福島瑞穂党首への答弁。


 死刑囚3人の刑が執行されたことを受け、「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)などは1日、東京都内で記者会見し、「昨日(1月31日)の段階で鳩山邦夫法相に思いとどまるよう書簡で申し入れたにもかかわらず、処刑が行われた」(保坂展人衆院議員)として抗議した。

 死刑廃止運動に取り組む安田好弘弁護士は、31日に「明日3名の執行がある」などとの情報が複数寄せられたことを明らかにした。安田弁護士は「情報漏れではなく、内部の現場からの厳しい告発だ。連続して執行に当たる職員の悲鳴であり、今後も告発はなされるだろう」と話した。 続きを読む

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