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2007年05月

 人気ポップスグループ「ZARD(ザード)」のボーカリスト坂井泉水(いずみ)(本名・蒲池幸子)さん(40)が、入院先の東京都内の病院で死亡していたことが、28日明らかになった。

 警視庁四谷署によると、26日午前5時40分ごろ、坂井さんが慶応大病院(新宿区)の病棟脇の地面にあおむけに倒れているのを通りがかった人が発見した。

 坂井さんは、後頭部を強く打っており、同病院で手当てを受けていたが、27日午後、死亡した。

 同署によると、坂井さんは避難用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられ、事故死と自殺の両面で調べている。争った形跡はなく遺書もなかった。

 坂井さんの所属事務所によると、坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんと診断され入退院を繰り返し、今年4月には肺への転移が見つかったため再入院していたという。

 坂井さんは、ポップスグループ「ZARD」のボーカリストとして、1991年にシングル「Good‐bye My Loneliness」でデビュー。その後、春の選抜高校野球の入場行進曲にもなった「負けないで」(93年)、「揺れる想(おも)い」(同)などがヒット。99年に出したベストアルバム「ZARD BEST」は300万枚を超える売り上げを記録した。ZARDはポップスグループだが、近年は坂井さんのソロ活動だった。


 「負けないで」などのヒットで知られる人気ユニット・ZARDのボーカル、坂井泉水(さかい・いずみ、本名蒲池幸子=かまち・さちこ)さんが、入院先の東京都新宿区の慶応大病院で脳挫傷のため死去したことが28日、明らかになった。40歳。神奈川県出身。昨年6月から子宮頸(けい)がんで闘病生活を送っていた中、病院のスロープから転落。意識不明のまま27日に死去した。警視庁四谷署では事故死の可能性が高いとみて調べている。

 そっと背中を押してくれるようなさわやかな歌声とメロディーで幅広い年齢層から愛され、90年代の女性歌手で最も多くのシングル曲を売り上げた坂井さん。デビューから16年、40歳でのあまりに早すぎる死に、ファンは大きな衝撃を受けた。

 四谷署によると、26日午前5時42分、病院の外に取り付けられたらせん状のスロープ下に坂井さんが仰向けに倒れているのを通行人が見つけた。靴は履いており、ジーンズにTシャツ姿。後頭部をコンクリートの地面に強打したため、意識不明のまま、翌27日午後3時10分、両親と親族にみとられて息を引き取った。

 所属事務所によると、坂井さんは昨年6月に子宮頸がんの摘出手術を受け、入退院を繰り返していたが、肺への転移が見つかったため今年4月に再入院。放射線治療と抗がん剤の投与を続け、最近では「早朝に病院の敷地内を散歩するのが日課になるほど、体調が回復していた」(事務所関係者)という。

 事務所では「散歩から病室に戻る途中、前日の雨により踊り場で足を滑らせた」と説明。事故死と自殺の両面で調べている四谷署でも、スロープの高さが2・9メートルと低く、遺書もなく、衣類をベッドに放ったまま買い物に行くような服装で出掛けているなどの状況から、自殺ではなく、スロープの手すりに腰を乗せているうちにバランスを崩して後方に転落した可能性があるとみている。

 坂井さんは病床で思いついた詞をノートに書き留めるなど、創作意欲は衰えていなかった。順調に回復すれば今秋にアルバムを発売し、3年ぶりのライブツアーも計画していたという。

 29日に都内で近親者だけで密葬を行い、6月27日、東京都港区南青山2―33―20、青山葬儀所で「しのぶ会」を開く。


 90年代に隆盛を極めた音楽ユニットZARDのボーカル坂井泉水(さかい・いずみ)さん(本名・蒲池幸子=かまち・さちこ)が27日午後3時10分、脳挫傷のため急死していたことが28日、分かった。40歳。坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんを患い、1度は快方に向かったが肺転移が認められ、今年4月に再入院。今月26日早朝、入院先の東京・信濃町の慶大病院の非常階段から転落し、後頭部を強打したことが死因だった。10月の新アルバム発売を目指し、病室での楽曲制作や写真撮影を進めていた矢先の死だった。

 坂井さんは、両親と親族数人にみとられ、息を引き取った。関係者によると、転落後は最期まで意識が戻らなかったという。遺体は28日までに都内にある実家に戻った。事務所スタッフは「仕事で両親と一緒の時間が少なかったので、今は家族水入らずの時間を過ごさせてあげたい」と自宅前で立ち尽くし、肩を落とした。

 警視庁四谷署によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、肺がん治療で入院していた5階建ての慶大病院1号棟にある非常用らせん階段のスロープ(高さ約3メートル)から転落。駐車場のコンクリートで後頭部を強打し、あおむけに倒れているところを通行人に発見された。

 転落時の目撃者がいないため、四谷署は事故と自殺の両面で調べている。所属事務所は「最近の日課だった散歩を終えて病室に戻る途中、前日の雨の影響で足を滑らせた」と説明。「3メートルの高さは自殺で飛び降りる高さではない」と話す捜査員もいる。発見時は外出用の服装。親族に近い関係者によると、遺書はなく、病室のベッドには脱ぎ捨てられたパジャマがあった。身辺整理の跡もなく、自殺の兆候はないという。

 だが、スロープの床から手すり上部までは約1・2メートル。足を滑らせて転落するというのはやや不自然だ。四谷署も、手すりを乗り越える形で転落したとみており、詳しい経緯を調べている。

 世間を揺るがした突然の悲報。同時に、がんの闘病中だったことも公になった。昨年6月に極秘で子宮頸(けい)がんの手術を受け、入退院を繰り返していた。子宮全摘出手術を受け一時は快方に向かったが、今年3月に受けた検査で肺への転移が認められた。嫌煙家で飲酒も好まず、健康管理に気を使っていた坂井さん。不条理な現実に直面したが、気丈だった。度重なる発病にも「しっかり治して、秋に新作(アルバム)を発表したいね。全国ツアーもやりたいよね」と前向きだった。

 放射線、抗がん剤治療で肺がんも確実に縮小し、体力回復のため、病院の敷地内を精力的に歩いていた。10月発売予定だった同アルバムの写真撮影も進められ、制作途中の楽曲も多数あった中、誰も予期できない悲劇が待っていた。

 坂井さんはモデル活動を経て91年に歌手に転身した。93年に「負けないで」が約164万枚を売り上げ、翌94年には、センバツ高校野球の入場行進曲になり、音楽の教科書にも採用された。以後ヒットを連発、90年代に最高の輝きを見せた女性歌手の星だった。93年のオリコン年間売り上げチャートで総合1位を獲得。日本の音楽界の頂点に立ち、毎年、NHK紅白歌合戦の出演依頼があった。

 メディア露出を極端に避ける手法が奏功し、神秘性でブレークした。年齢も非公表。音楽番組は93年のミュージックステーション出演が最後。単独ライブも99年のアルバム購入者イベント、04年3月の初全国ツアーと生涯2回だけだった。

 通夜は今日29日、告別式は翌30日に密葬で営まれる。東京・六本木の所属事務所リレーションズ、大阪・北堀江のGIZA studioには記帳、献花台が設けられ、多数のファンが別れを告げた。お別れの会も後日、開かれる予定だ。

 ZARDは、作詞とボーカル担当の坂井泉水さんを中心にしたプロジェクトで、ほかに固定メンバーはいない。そのため、ZARD=坂井と表現するケースもある。テレビ出演もライブも数えるほどの機会しかないため「坂井さんが存在しないのでは」と、まことしやかなうわさが飛ぶほどだった。

 90年にB,zやTUBEのプロデューサーだった長戸大幸氏と坂井さんが出会い、91年2月に「Good-bye My Loneliness」で歌手デビューした。翌月には早くも同名の初アルバムを発売。さわやかな歌声とメロディーでたちまち人気グループに躍り出て「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」の3作がミリオンを記録。アルバムも9作がミリオンをマークし「揺れる想い」と「OH MY LOVE」がダブルミリオン。シングル43作の累計は約1751万枚で歴代女性歌手2位(1位は浜崎あゆみ)、アルバム17作の累計は約1870万枚で女性歌手歴代5位の記録を残した。

 坂井さんは、ZARDとしての活動以外にも、作詞家としてほかのアーティストへ詞の提供を意欲的に行い、森進一「さらば青春の影よ」では、演歌との異色コラボレーションで注目を集めた。歌声だけでなく、抜群のルックスと、学生時代に陸上部で鍛えた美脚にファンも多く、長嶋茂雄巨人終身名誉監督は、93年発売の「果てしない夢を」にゲストボーカルとして参加。99年発売の写真集「ZARD ARTIST FILE」ではメッセージを寄せた。音楽活動以外では、97年に東京国税局から4000万円の申告漏れを指摘され社会面をにぎわせたこともあった。

 坂井さんは1967年(昭42)2月6日、神奈川県生まれ。県内の短大卒業後、都内の会社で働いていたOL時代にスカウトされて芸能界入りした。当初は本名の「蒲池幸子」として、写真集を出版するなどタレントとして活躍した。岡本夏生とともに、日清カップヌードルレーシングチームのレースクイーンを務めるなどモデル活動を行っていた。だが、学生時代に見たライブで「自分も何かを人に伝えたい」と感激。その熱い思いが忘れられずに歌手を志した。

 ◆子宮頸がん 子宮の入り口である子宮頸部にできるがん。40歳以上の女性の2~3%が発症している。最近では20代、30代での発症も増えている。初期は無症状だが、進行すると不正出血や下腹部痛が現れてくる。また、性感染症ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染者に、高い確率で発症していることが分かっている。HPVは性交経験のある女性ならだれでも感染の可能性がある。HPV検査と細胞を採取して検査する細検査の併用で、子宮頸がんの予防は可能と言われている。

 「負けないで」

ふとした瞬間に 視線がぶつかる

しあわせのときめき 覚えているでしょう

パステルカラーの季節に恋した

あの日のように輝いてる

あなたでいてね

負けないで

もうすこし 最後まで走りぬけて

どんなに離れてても

こころはそばにいるわ

追いかけてね はるかな夢を

なにが起きたって ヘッチャラな顔して

どうにかるなるサと おどけてみせるの

今宵はわたくしと一緒におどりましょう

今もそんなあなたが好きよ

忘れないでね

負けないで

ほらそこに ゴールは近づいてる

どんなに離れてても

こころはそばにいるわ

感じてね見つめる瞳


 「負けないで」「揺れる想い」などの大ヒット曲で知られるZARDのボーカル、作詞家の坂井泉水さん(40)が、不慮の事故による脳挫傷のため5月27日に死去した。

 所属事務所の発表によると、昨年6月に子宮けい癌を患い、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っており、一度は快方に向かっていたものの肺への転移が認められ、今年4月に再入院を余儀なくされていた。ここ最近は、体調が回復し早朝に散歩するまでになっていたが、5月26日の早朝、病室に戻る途中の階段踊り場から転落し、後頭部を強打した。

 ZARDは昨年15周年記念ベストアルバム『Golden Best ~15th Anniversary~』を発売(2006/11/6付ランキングで1位を獲得)、その後も音楽創作活動には積極的で、この秋にはニューアルバムのリリースを予定し、3年ぶりのライブツアーを行う計画を進めていた最中であった。

 これまでのZARDの主な記録は、シングル、アルバム、DVD総売上枚数が3641.8万枚(62作)で歴代8位(女性ボーカル歴代4位)。シングル総売上枚数は1751.1万枚(43作)で歴代7位(女性ボーカル歴代2位)、アルバム総売上枚数は1870.6万枚(17作)で歴代8位(女性ボーカル歴代5位)。

 なお、シングルとアルバムそれぞれのNo.1ヒットは、「負けないで」の164.5万枚(1993/1/27発売)と『ZARD BEST The Single Collection~軌跡~』の300.8万枚(1999/5/28発売)となる。続きを読む

 全17作と異例のラッシュとなった今クールの連続ドラマだが、視聴率20%突破タイトルが未だ登場せず、全体の7割にあたる12作が初回がピークという苦戦が続いている。そんななかで『帰ってきた時効警察』が第6話(5/18放送)で13.5%とこれまでの最高視聴率をマーク、週間ドラマランキング(5/14~20の1クールドラマ)では初のTOP5入りと絶好調だ。

 前作からのコアファンが多い『時効警察』のシリーズ第2弾となる今作。放送前から期待する声が多く集まっていたが、初回は深夜時間帯としては異例ともいえる12.8%の高視聴率を記録。その後も10%を切ることなく推移し、第6話ではついに13%を突破した。前作と比べても、ひとひねりあるストーリーがコアファンを飽きさせず、雑誌やネットなどでの話題や口コミなどで新たなファンも獲得しているようだ。 

 これまでにもテレビ朝日系金曜23時台の金曜ナイトドラマからは、シリーズ化され映画版も大成功を収めた『トリック』や、今年3月に17.0%という特筆すべき高視聴率をマークした『特命係長・只野仁』など、ヒット作が多く誕生している。 

 これまでの同枠ドラマの最高視聴率は、前述の17.0%だったが、今回の『帰ってきた時効警察』はそれに迫る勢いをみせている。この先、最終話に向けてさらに数字は伸びていくことが予想され、新たな記録を打ち立てることが期待される。 
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人気音楽プロデューサーの小林武史(47)と、妻で「マイ・リトル・ラバー」のボーカル、akko(34)が離婚に向けた話し合いを始めたことが9日、分かった。夫妻は既に別居しており、小林は人気歌手の一青窈(ひととよう、30)と不倫交際中。akkoも公私ともに独り立ちする意思を固めている。離婚成立後、小林は一青と再婚するとみられる。

ポップス界を代表する“おしどり夫婦”といわれてきた「マイラバ」の小林&akko。同ユニットが昨年7月からakkoだけのソロプロジェクトになった中、私生活でもそれぞれの道を歩むことになりそうだ。

 スポニチ本紙の取材によると、3月ごろから夫婦間で離婚に向けた話し合いが始まった。最も大きな理由は、小林と一青との不倫愛。夫妻には2人の子供がいるため、慎重に話し合いをしている。

 双方とも11年間の結婚生活への思いは深いが、溝を埋めるのは難しい状況。akkoは、今月7日に初のソロツアーをスタートさせ、公私ともに“独り立ち”する意思を固めたようだ。

 小林は、Mr.Children、サザンオールスターズ、レミオロメンなど多くの人気アーティストを手掛け、現在の日本ポップス界を代表するプロデューサー。そんな大物が自らメンバー参加したのが「マイラバ」で、ボーカリストとして、女性としてもほれ込んだakkoと96年7月に結婚。200万枚を売り上げた「Hello’Again~昔からある場所~」など大ヒットを連発し、私生活では96年末に長女、01年に二女が誕生。公私ともに充実した生活を続けてきた。

 異変のきっかけは、05年7月の小林主催のイベントライブ「ap bank fes’05」。そこで参加した一青と意気投合し、楽曲制作に携わるようになると私生活でも急接近。昨年から交際を始め、一青の自宅を訪れるようになった。

 既に夫妻は別居しており、離婚成立後、小林は一青との新たな生活をスタートさせる。


 人気歌手、一青窈さん(30)との不倫が報じられた大物音楽プロデューサー、小林武史氏(47)が妻で「マイ・リトル・ラバー」のボーカル、akkoさん(34)と離婚に向けた話し合いを始めていることが10日、関係者の話で分かった。

 夫妻には2人の子供がいるが、すでに別居中。離婚成立後、小林氏は一青さんと再婚するとみられる。

 小林氏は自ら主催した一昨年7月のイベントライブ「ap bank fes’05」に参加した一青さんを気に入り、楽曲製作に携わるだけでなく、昨年からは交際を開始。一青さんの自宅を訪れる様子が写真週刊誌に報じられた。

 Mr.Children、サザンオールスターズ、レミオロメンなど多くの人気アーティストを手掛けている小林氏は1996年7月に、自らプロデュースする「マイラバ」のボーカルのakkoさんと結婚。同年末に長女、2001年に二女が生まれている。

 akkoさんは、今月7日に初のソロツアーをスタート。これが公私ともに“独り立ち”の始まりとなるのか-。続きを読む

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