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2006年07月

 明日は七夕。『七夕と聞いてイメージする曲ランキング』で、DREAMS COME TRUEの「7月7日、晴れ」が1位に。

 「七夕と言えばこれ! 歌詞も七夕にちなんだ歌詞だし、ロマンチックな感じが出ててすごい好きな曲」(神奈川県/専・大学生/女性)、「萩原聖人さん、観月ありささん主演の映画の主題歌だったのですが、未だに印象に残っているので。映画の挿入歌なども全部ドリカムで、とっても素敵でした」(福岡県/40代/男性)など、七夕と言えばやはりこの曲。映画の印象も深いようだ。

 また、「ちょうどこの歌が出た年の7月7日は同僚の結婚式でした。今年結婚する友達の誕生日でもあり、晴れるといいな~と思いまして」(北海道/30代/女性)、「7月7日に好きな人と過ごしたい、と高校時代友人が言っていたのを思い出す曲」(愛知県/20代社会人/女性)など、この曲にまつわる色んな思い出も。

 2位は“ささの葉さらさら”の動揺「たなばたさま」。 「“ささの葉 さらさら~”って、この曲以外に考えられないです」(神奈川県/30代/女性)、「この曲以外浮かばない。小学校のときよく歌った記憶がある」(埼玉県/専・大学生/男性)「童謡の「たなばたさま」、もうこれしかないでしょう! 子供の頃を思い出します」(東京都/40代/女性)など、子供の頃から歌い、聞き、親しんでいる「たなばたさま」は七夕のスタンダードだ。

 その他、大塚愛の「プラネタリウム」(3位)、「金魚花火」(9位)、BUMP OF CHICKENの「天体観測」(6位)、「プラネタリウム」(9位)など、「星空が思い浮かぶ。でもすごく切ない曲。会いたくても会えないという内容で、そこが織姫と彦星っぽいかも」(東京都/中高生/女性/大塚愛「プラネタリウム」)、「キラキラした曲だし、星を見上げながら聞きたい」(愛知県/中高生/女性/BUMP OF CHICKEN「プラネタリウム」)といった星空を連想させる曲がランクインした。

(2006年6月22日~6月26日、自社アンケート・パネル【オリコン・モニターリサーチ】会員の中高校生、専・大学生、20代社会人、30代、40代の男女各100人、計1,000人にインターネット調査したもの)続きを読む

 B'zの通算15枚目のオリジナル・アルバム『MONSTER』が40.1万枚を売上げ、初登場で首位を獲得した。

 B'zのアルバム首位は、1997年11月発売の『SURVIVE』から12作連続、通算では20作目。アルバム首位20作目到達は、グループ、男性アーティストとしてはともに史上初で、女性アーティストを含めた歴代でも、松任谷由実(通算21作)に続く史上2組目の快挙。また、今回の首位獲得により、その松任谷由実(21作)との差は、「1作」となった【右表参照】。続きを読む

 橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は未定、妻は久美子(くみこ)さん。政府、自民党は後日、内閣・自民党合同葬を行うことを検討している。

 日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件を受け、2004年7月に自民党橋本派会長を辞任。昨年9月の衆院選に出馬せず政界を引退していた。6月4日夜、腹痛を訴え入院。腸管虚血との診断を受け、大腸の大部分を切除するなどの手術を受けていた。

 厚相、運輸相、自民党幹事長、蔵相、党政調会長、通産相などを歴任し、1996年1月、村山富市首相の退陣表明を受けて第82代首相に就任。自民、社民、さきがけ3党連立政権の下で財政構造改革や行政改革など「六大改革」を掲げ、現在の1府12省庁の中央省庁再編に道筋を付けた。

 しかし、消費税率の5%への引き上げや医療費負担増などをきっかけに景気が減速、財政構造改革路線の転換を余儀なくされ、98年7月の参院選で「経済失政」の批判を浴び、自民党が惨敗、引責辞任した。首相を辞めた後は、森内閣で行政改革兼沖縄・北方担当相として入閣。2001年、森喜朗首相の後継を選ぶ自民党総裁選に出馬したが、小泉純一郎首相に大差で敗れた。

 首相在任中、米国と沖縄の米軍普天間飛行場の全面返還に合意したほか、日米安保共同宣言を発表、新たな日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を決定した。対ロシア外交でも、エリツィン大統領(当時)と2000年末までの平和条約締結というクラスノヤルスク合意を交わし、北方領土問題で「国境線画定」方式を提案した。

 また、ペルーの日本大使公邸人質事件や北海道拓殖銀行の経営破たん、山一証券の自主廃業などに直面。96年9月には衆院解散に踏み切り、現行の小選挙区比例代表並立制で初めての選挙を行った。

 ことし3月には中国を訪問して胡錦濤国家主席と会談するなど、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題で冷え込む日中関係の改善に努めていた。

 慶大法学部卒業後、紡績会社のサラリーマンを経て、父龍伍氏(元厚相)の急死を受け63年の衆院選に26歳で初当選。以後14回の当選(岡山4区)を重ねた。

 厚生、行革に手腕を発揮した根っからの政策マンで、「橋龍」と呼ばれ、剣道、登山、写真など趣味も多彩だった。実弟は橋本大二郎高知県知事。橋本岳衆院議員は二男。




 ダンディーなルックスと“橋龍”の愛称で知られた橋本龍太郎元首相が1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため、東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。96年1月から2年半、首相を務め、現在の1府12省庁の中央省庁再編に道筋を付けたが、昨年9月に政界を引退していた。元首相は6月4日夜、腹痛を訴え入院。腸管虚血との診断を受け、大腸の大部分を切除するなどの手術を受けていた。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う予定。政府、自民党は後日、内閣・自民党合同葬を行うことを検討している。
 端正な顔立ちで人気も高かった橋本元首相は、厚生畑はじめ行政改革や外交、経済にも精通した自民党きっての「政策通」だった。だが、党内では「一匹オオカミ」「論争好き」と評され、田中派の流れをくむ派閥領袖になりながら、党内基盤は決して強くはなかった。
 37年7月生まれの橋本氏は、慶大法学部卒業後、サラリーマン生活をしていたが、父・龍伍元厚相の急死を受け、63年の衆院選に出馬。当時としては最年少の26歳で初当選して以来、14回連続当選を果たした。78年には41歳で大平内閣の厚相として初入閣。その後、党幹事長、蔵相、通産相などを歴任。95年9月には小泉純一郎氏を大差で退け、自民党総裁となった。
 翌96年1月、村山富市首相の辞任を受け、首相の座に就くと、米軍普天間飛行場の返還をトップダウンで決定。中央省庁再編などに精力的に取り組むなど、政策面でリーダーシップを発揮したが、98年7月の参院選で自民党が惨敗、退陣に追い込まれた。
 01年4月の党総裁選に出馬したものの小泉氏に敗北。「自民党をぶっ壊す」と宣言した小泉首相の下で、「鉄の結束」を誇った橋本派の求心力は徐々に低下。04年に浮上した日歯連献金疑惑では証人尋問されるなど、釈明に追われ、05年8月、健康問題を理由に、政界から引退、二男の岳氏が後を継いだ。
 6月4日に緊急入院した元首相は手術後、一時、回復の兆しを見せたが、血圧などの数値が徐々に悪化。妻の久美子さんや近親者10人が見守る中で息を引き取った。
 二男の岳衆院議員は「親族が見守る中、静かに息を引き取った。安らかな顔をしていた」と話した。入院時に診断された「腸管虚血」は、腸に突然血液が回らなくなる病気で、原因解明のため、病理解剖が行われる。弟の大二郎高知県知事は、「兄は医療や厚生行政に長く携わった。今、病理解剖をしており、日本の医療に貢献するというメッセージを残してくれたと思っている」と目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせた。
 葬儀・告別式は近親者のみで行う意向。大二郎氏は「これまで多くの方にお世話になっておいて申し訳ないが、最後は身内だけで静かに見送りたい」と述べた。




中央省庁再編や、沖縄の米軍基地負担軽減などに取り組んだ橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳。岡山県出身。自宅は東京都港区。喪主は未定。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は長男、龍(りょう)氏。  

昨年8月の衆院解散を機に政界を引退した橋本氏は6月4日に腹痛を訴え入院し、腸管虚血と診断され、大腸のほとんどと小腸の一部を切除する手術を受けていた。  

昭和38年に元厚相の父龍伍氏の死去に伴い、衆院旧岡山2区から出馬し26歳で初当選。連続14回当選。政策通として頭角を現し、竹下派で小沢一郎氏(現民主党代表)らと「7奉行」と称された。厚相、自民党幹事長、蔵相、通産相を歴任し、平成7年9月の自民党総裁選で小泉純一郎氏(現首相)を破って総裁に。村山富市首相の退陣で8年1月に第82代首相に就任した。  

行政改革など「六大改革」を唱えて、現在の1府12省庁の中央省庁再編の道筋を付けた。クリントン米大統領(当時)と沖縄の米軍普天間基地の全面返還で合意し、冷戦後の日米同盟を再定義する「日米安保共同宣言」を発表した。また、ペルー日本大使公邸占拠事件の解決に当たった。  

消費税率を5%へ引き上げ、財政再建を進めたが、銀行・証券の破綻(はたん)が相次ぎ、景気減速で財政構造改革路線の転換を迫られた。10年7月の参院選で敗北して引責辞任した。  

13年の総裁選で再登板を目指したが小泉氏に惨敗。日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件を受け、16年7月に橋本派会長を辞任した。慶応大卒。




 橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日、東京都内の病院で死去した。68歳だった。慶大卒。呉羽紡績(現東洋紡)勤務などを経て、厚相などを務めた父、龍伍氏の死去を受け、1963年の衆院選に初当選。14回連続で当選した。
 自民党内では「竹下派七奉行」の1人として頭角を現し、党幹事長、蔵相、通産相、運輸相などを歴任。「政策通」としての評価が高く、社会保障分野などで大きな影響力を発揮した。自民、社会、新党さきがけ3党連立政権の下、95年に自民党総裁。96年1月の村山富市首相退陣を受け、首相に就任した。
 首相在任中は行政改革、財政構造改革などの「6大改革」を推進。小泉純一郎首相が進める改革路線の原型をつくった。97年4月には消費税率を3%から現行の5%に引き上げた。
 外交・安保分野では96年に沖縄の米軍普天間基地の返還で米側と合意。日米安保共同宣言をまとめた。ロシアのエリツィン大統領と個人的な信頼関係を構き、北方領土問題の進展に努力した。 (14:59)



 中央省庁再編や沖縄の基地負担軽減などに取り組んだ橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日、東京都内の病院で死去した。68歳だった。自宅は東京都港区南麻布3の5の49の603。告別式の日取りや喪主は未定。
 昨年8月の衆院解散を機に政界を引退した橋本氏は、環境などの分野で活動を続けていたが、6月4日に腹痛を訴え緊急入院。腸管虚血と診断され、大腸のほとんどと小腸の一部を切除する手術を受けた。
 橋本氏は、厚相などを務めた父龍伍氏の死去に伴い、1963年衆院旧岡山2区から出馬。26歳で初当選し、14回当選した。自民党内で政策通として頭角を現し、78年の第1次大平内閣で厚相として初入閣。竹下登元首相(故人)が結成した創政会に参加し、竹下派では梶山静六元官房長官(同)や小沢一郎氏(現民主党代表)らとともに「7奉行」と称された。
 その後、党幹事長、蔵相、通産相などを歴任。95年の自民党総裁選で小泉純一郎氏(現首相)を破り第17代総裁に選出。96年1月、自民、社会、さきがけ3党連立の村山富市首相に禅譲される形で第82代首相に就任した。
 行政改革や財政改革など「6大改革」を掲げ、中央省庁を現行の1府12省庁に再編する案をまとめた。クリントン米政権との間で米軍普天間飛行場の返還で合意し、ロシアのエリツィン大統領とは、2000年までの平和条約締結に全力を尽くすとした「クラスノヤルスク合意」を結んだ。 



 中央省庁再編や財政再建に取り組んだ橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日、死去した。68歳だった。首相退任後、自民党最大派閥「平成研究会」の会長となったが、再挑戦した01年の総裁選で小泉首相に敗れた。日本歯科医師連盟(日歯連)からの1億円献金隠し事件の責任をとって会長を辞任し、昨年の総選挙を機に引退した。通夜・葬儀は未定。自宅は東京都港区南麻布3の5の49の603。
橋本龍太郎元首相
 自社さ連立の村山政権下の95年の自民党総裁選で、小泉氏を破って第17代総裁に就任。翌96年1月、村山首相の退陣を受け、宮沢内閣以来、自民党から約2年半ぶりに首相の座に就いた。
 橋本氏は37年、故橋本龍伍元厚相の長男として生まれ、慶大卒業後、呉羽紡績勤務を経て、父の死去後の63年の総選挙で26歳で初当選して以来、連続当選14回。厚相、運輸相、蔵相、通産相、党政調会長、幹事長など政府・自民党の要職を歴任し、「政策通」として知られ、「厚生族のドン」とも呼ばれた。
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