1997年に起きた神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で、関東地方更生保護委員会(さいたま市)は10日午前、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた加害者男性(21)の仮退院を認める決定をした。

 これを受け、男性は直ちに仮退院し、同年6月の逮捕以来、約6年9か月ぶりに社会に戻った。今後、保護観察下で社会生活を送り、問題行動などがなければ今年12月末に正式退院を迎える。法務省は男性が仮退院した事実を遺族に通知。午後には決定に至った経緯などを報道発表する。

 同委員会はこの日朝、男性の仮退院の可否を最終的に協議し、「約6年半にわたる矯正教育で、事件の要因となった男性の性的サディズムなどは改善され、再犯の恐れもなくなった」と判断。出院後の居住地などにもめどがついたことから、仮退院を認めた。

 関係者によると、男性はこれまで少年院で受けてきた矯正教育により、被害者の月命日に冥福(めいふく)を祈るなど、しょく罪意識が芽生え、他人との会話もスムーズに行えるようになったという。技能職の資格も取得していることから、少年院側は「社会生活は可能」として、昨年3月、関東地方更生保護委員会に仮退院を申請。同委員会ではこれまで、委員が男性本人と面談するなどして、更生状況を慎重に見極めてきた。

 仮退院後は、保護観察所などの生活指導を受けながら自立を図り、今年12月末をめどに、本格的な社会復帰を目指す。

 神戸の事件では、遺族側が男性の仮退院情報を通知するよう強く求めていた経緯があり、法務省は男性が仮退院した事実をすぐに通知した。さらに、事件の重大性を考慮し、午後には報道発表により、仮退院を認めた経緯などを広く国民に説明する。

 男性は97年10月、神戸家裁の決定を受けて関東医療少年院に収容された。2001年11月には、「本格的な社会復帰に備え、集団での訓練が必要」として、いったん中等少年院に移された。

 少年院の収容期限は通常20歳までとされるが、男性については、同家裁が2002年7月、「仮退院後の生活にまだ不安が残る」として、20歳になった後も保護観察期間を含めて2年半の収容継続を決定。同年11月に再び、関東医療少年院に戻っていた。

 男性は中学3年生(14歳)当時の、97年5月、神戸市須磨区の通称「タンク山」で、土師(はせ)淳君(当時11歳)を絞殺し、約1か月後に殺人と死体遺棄容疑で逮捕された。その後の調べで、男性は同年2月にも小学生の女児2人をハンマーで殴打、さらに3月にも、山下彩花ちゃん(当時10歳)ら2人をげんのうで殴るなどして殺傷していたことが判明した。


 神戸市須磨区で97年に起きた小学生連続殺傷事件で、法務省は10日、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた男性(当時14歳、現在21歳)が同日午前8時55分に仮退院したと発表、遺族にも通知した。仮退院情報の公表は異例。出院準備教育課程が修了し、「再犯のおそれはない」と判断したための措置で、今後保護観察を受けながら、社会での更生を図る。

 関東地方更生保護委員会が同日午前の委員会で仮退院を決定し、男性は直ちに仮退院した。

 関係者によると、男性の精神状態は成熟して落ち着き、集団生活にも溶け込んでいる。事件当時あった性的サディズム(加虐性)などは改善され、危惧(きぐ)されていた精神疾患などの兆候もない。少年院入所当初は「1人で死なせてほしい」などと言っていたが、現在は事件当時を振り返って「まるで夢まぼろしのようだ。犯罪で自己の存在確認をしようとしたことは理解できない。二度と同じ気持ちになることはない」と述べているという。

 職業訓練も順調で、「罪の重さを1日も忘れずに一生背負い、働いたお金で償い続けたい」と、被害者へのしょく罪意識も口にしているという。

 神戸家裁は97年10月、「強固なサディズムや自己の殺人衝動を正当化する反社会的価値観がある」として男性の医療少年院送致を決定。5年半の処遇計画で同少年院に収容され、01年11月からは東北少年院(仙台市)に移り、職業訓練などを受けた。02年7月に、04年末までの収容継続が決定し、関東医療少年院で最終的な教育を受けていた。

 同少年院は03年3月、「再犯のおそれはない」として、関東地方更生保護委員会に仮退院を申請。矯正当局は、少年の受け入れ先などを探し、仮退院のタイミングを計っていた。

 仮退院情報について、法務省は従来、公にしてこなかったが、今回は「男性のプライバシーに配慮しつつ、社会の正当な関心に応えるべきだと判断した。公表せず、社会に不安を与えたままでは、男性の更生にも支障が出る」との理由から発表に踏み切った。【伊藤正志】

◎ことば=神戸小学生連続殺傷事件

 神戸市須磨区で97年に発生。3月に女児が金づちで殴られ死亡し、別の女児がナイフで刺されけがをした。5月には、男児が通称「タンク山」で絞殺され、遺体の一部が「酒鬼薔薇聖斗」名の犯行声明文と一緒に中学校校門に置かれた。他にも女児2人が金づちで殴られけがを負った。

◆おことわり

 神戸小学生連続殺傷事件で逮捕された当時14歳の少年だった男性の仮退院について、毎日新聞は事前に社内で議論を重ね、外部の専門家の意見も参考にして報道することを決めました。

 事件が少年法改正のきっかけの一つとなるなど、社会に大きな影響と衝撃を与え、国民の関心がいまだに高い▽男性の更生プログラムの内容や更生状況などについて、報道機関として国民の知る権利に応える義務がある、などの理由です。

 意見を聞いた専門家のうち、前野育三・関西学院大教授(少年法)は、「更生して退院した事実を書かないと、犯行当時の少年がいまだに存在することになってしまう」と指摘し、「プライバシーとの兼ね合いの中、どんな事件なら社会が知る必要があるのか基準を議論する契機とすべきだ」と意義付けました。桂敬一・立正大教授(ジャーナリズム論)は報道するうえの注意点として、「仮退院後の生活などの興味本位なものや恐怖心や復しゅう心をあおるようなことは避けるべきだ」としました。

 期待する報道内容については「男性がどこまで更生できたのかの検証」(諸澤英道・常磐大大学院教授=被害者学)▽「男性をどう社会が受け入れるべきか論じる報道」(野田正人・立命館大教授=司法福祉論)▽「社会のひずみが彼を生んだのであり、社会観が問われている事件としての報道」(野田正彰・京都女子大教授=精神病理学)などの意見がありました。

 これに対し、沢登俊雄・国学院大名誉教授(刑事法)や井上敏明・六甲カウンセリングセンター所長(神戸海星女子学院大教授)は、「仮退院は処遇の途中。報道すべきでない」との意見で、仮に報道する場合は、沢登教授が「今後どのように保護観察が進むのかに主眼を置いた記事」、井上氏が「男性が『治っていないのではないか』という不安を社会に与えないための安心情報」を求めました。

 法務省は、仮退院に合わせて異例の公表に踏み切りましたが、毎日新聞はこうした専門家の意見を踏まえ、取材方法などに十分配慮した報道に努めます。



 「生涯を費やして(罪を)償います」――14歳だった97年に児童2人を殺害。残忍な手口と「酒鬼薔薇(さかきばら)聖斗を名乗った挑戦的な犯行声明文で世間を震撼(しんかん)させた男性(21)は、約6年5カ月に及んだ関東医療少年院(東京都府中市)などでの治療・教育の結果、悔悟の念を口にするようになったという。当初、「更生は不可能ではないか」と危ぶむ一部の声に、法務省は威信をかけた更生プログラムを作成。スタッフは、親にも似た温かい愛情を注ぎ続けたとされ、その成果に自信を見せる。受け入れる社会も、その有りようを改めて問われることになる。

 男性が、仮退院後の生活を思い浮かべたことがある。02年6月、東北少年院(仙台市)で職業訓練をしていた時だ。

 「突き当たり(囲い)の無い所を歩いてみたい」と言った後、男性はこう話したという。「家族や親せき、弁護士などで頼りたいと思う人はいません。許されるなら(関東医療)少年院の先生たちとは手紙を書くなどのつながりを持ちたい」

 精神状態、家庭との関係、遺族への償い……。課題は山積している。男性の話を聞いた関係者は「自分なりに一つ一つ考えてはいるが、具体的にどう対処するのか(課題を)突きつけられると困惑しているようだった」と分析した。しかし、心は揺れる。男性は03年には「自分の周りには見守り助けてくれる人がたくさんいることに気付いた。率直にならなければ……」と自分に言い聞かせたという。

 男性が少年院で受けた更生プログラムは「原則2年以内。延長は1年のみ」という、これまでの少年院処遇期限を撤廃した5年半という異例の長期計画だった。

 入院当初、「人間は野菜と同じ」という事件当時の価値観は変わらない。一方、自分が殺害した児童の姿が見える幻覚に襲われ、「とり殺される」と脅えた。犠牲になった児童の法要に参加せず、両親との面会も拒む日々が続いた。

 転機は、99年夏。「自分が壊れる」と異常体感を訴えたのを最後に、安定に向かい始める。特定の女性スタッフに対し「僕の理想の母」と、心を開くようになったのがきっかけだった。関係者は「成長期に飢えていた親の愛に触れたのでは」と分析する。

 贖罪(しょくざい)教育のプログラムは、98年に始まっていた。00年1月、土師淳君(当時11歳)の父守さん(47)が書いた「淳」を、翌年2月には山下彩花さん(同10歳)の母京子さん(48)の「彩花へ―『生きる力』をありがとう」を読み、遺族の現実を突きつけられた。「夢を持っても幸福になってもいけない。一生苦しみ続けていく」と語ったという。

 仮退院した男性は「自分を守るため」名前と経歴を変え、住所地も明らかにされない。だが、入院中に自分の決意を作文にこうつづった。

 「人の目を逃れるような生活を改めたい。被害者に対する罪をどう背負うかというつらい現実が待っているが、逃げずに一生懸命続けていく」



 平成9年に神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件で逮捕され、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた当時14歳の男性(21)が10日午前、仮退院した。男性は保護観察に付され、保護観察官や保護司から生活指導などを受けながら社会復帰を目指す。

 仮退院は関東地方更生保護委員会から、殺害された男児=当時(11)=の父親(47)と、女児=当時(10)=の母親(48)に弁護士を通じて通知された。

 弁護士らによると、男性の仮退院は午前9時5分。居住地については「近畿地方以外」という説明があり、同委員会は仮退院の経緯などについて「後日、要望があれば説明したい」と遺族側に説明した。

 男性は9年6月に逮捕された後、10月に関東医療少年院に収容された。約1年間、職業訓練のために中等少年院で生活したが、14年11月に再度、関東医療少年院に戻り、最終的な教育課程が進められていた。

 男性は当初、問題視されていた性的サディズムや反社会的な価値観といった精神疾患が改善され、「1人で死なせてほしい」と投げやりだった態度もなくなった。「あのころの自分はまるで夢のようで、2度と同じ気持ちになることはない。温かい人に囲まれて生きたい」と考えるまでになった。

 被害者遺族の手記を何度も読み返すうちに、「罪の重さを忘れず、一生償っていきたい」などと謝罪の気持ちも生まれ、働いて賠償金を支払いたいと考えるようになった。嫌っていた両親とも面談し、集団生活にもなじんでいるという。

■父「一緒に暮らしたい」

 加害男性の父親 「長男は立ち直りのきっかけを確実につかめたと思う。厳しい現実に立ち向かう精神力も身に付き、頑張ってみようという気持ちになっていると思います。私はもし、本人が受け入れてくれるのであれば、家族5人で一緒に暮らしたいと願っています。年の若い弟たちと生活を共にして、助け合える関係を兄弟ではぐくんでくれるようになれば、そして家族が再出発ができればと願っています。私と妻は死ぬまで長男のそばにいて、どんなに厳しい状況になっても長男が2度と間違いを起こさぬよう見守り、更生に全力を尽くします」

 加害男性の母 「事件当時は、頭がおかしくなるかもしれない、でも、かえっておかしくなった方が、何も分からなくて楽かもしれないなとも思いました。何度も死にたいと思いましたが、もし、私たちが死ねば、被害者の方々、ご遺族の怒りや悲しみを受け止めるのは、長男以外になくなる。それこそ、もう一つの罪かもしれない。生きながらえて、悲しみや怒りを受け止めなければならないと思いました。長男にとっても、私たちにとっても、厳しく長い道のりだと思いますが、できれば静かに見守っていただければと思います」

■本当に更正したか

 殺害された男児=当時(11)=の父親 「最も重要な問題は、やはり彼は本当に更生したのかということだと思っています。更生をしたという判断をすることは、実は非常に困難なことです。仮退院した後に一般社会に出たとき、さまざまな苦難に遭遇することになると思います。それは当然の試練だと思います。そして彼の犯した罪は、一生かかっても償いきれるものではありません。そのことを絶対忘れずに、そして心に重い十字架を背負った状態で生きていってほしいと思います」

■罪から逃げないで

 殺害された女児=当時(10)=の母親 「残虐な行為をした男性が、わずか7年で人間の心を取り戻し、まっとうな社会生活を営めるのかということに疑問を感じているのも否定できない。罪を許したわけではないが、どんなに過酷な人生でも生き抜いてほしい。娘ならきっと、(男性が)より善く生きようとすることを望んでいる。罪を自覚すれば、当然苦しくつらい。それでも逃げないでほしい。私たちに対する謝罪は2度と人を傷つけず、いばらの道を生き抜いていくことしかない」


 神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件で逮捕された男性(21)=事件当時(14)=が10日、収容先の関東医療少年院(東京都府中市)を仮退院した。昨年3月に医療少年院から仮退院の申請を受けた関東地方更生保護委員会(さいたま市)が認めた。

 小学生5人が相次いで襲われ、うち2人が殺害された少年犯罪史上例のない事件から約7年。男性は仮退院後、保護観察に付され、保護観察官や保護司から生活指導などを受けながら社会復帰を目指す。

 法務省は昨年5月、担当者が神戸市内で、殺害された男児=当時(11)=の父(47)と面会。男性が既に更生したとして、仮退院の申請や矯正教育の内容などを口頭で伝えていた。

 男性は97年6月に逮捕され、神戸地検が神戸家裁に送致。神戸家裁は一連の事件を男性の犯行と認定した上で「精神病ではないが、今後重い精神障害に陥る可能性がある」として医療少年院送致を決定した。

 関東医療少年院に収容された男性は2001年11月、中等少年院に移されたが、神戸家裁が04年12月までの収容継続を決定。02年11月から再び関東医療少年院で贖罪(しょくざい)教育などを受けていた。

 仮退院は地方更生保護委員会の委員や保護観察官が本人に直接面接するなど調査し、3人の委員で構成する合議体が決定した。

 ■神戸連続児童殺傷事件 1997年2月から3月にかけ、神戸市で小学生の女児ら4人が金づちで殴られたり、ナイフで刺されたりして、うち1人が死亡した。5月には小学6年の男子児童=当時(11)=が殺害され、遺体の一部が中学校の正門前で見つかり、そばに「酒鬼薔薇聖斗」名の犯行声明文が置かれていた。同年6月、兵庫県警は殺人容疑などで近くの中学3年の少年=同(14)=を逮捕。神戸家裁は医療少年院送致とし、少年は関東医療少年院などに収容された。同少年院は15年3月、関東地方更生保護委員会に男性の仮退院を申請していた。

 ■保護観察 犯罪者や非行少年を対象に、通常の社会生活を営ませながら自立更生を促す制度。保護観察処分は判決や家裁の決定で受ける場合と、刑務所の仮出所や少年院の仮退院で受ける場合に大別される。いずれも国家公務員の保護観察官が地域ボランティアの保護司と連携し、処分対象者に必要な指導や助言を行う。保護観察に付された少年や仮退院者は14年で約5万4500人。


 土師淳(はせ・じゅん)君の父・守さん(47)と山下彩花(あやか)ちゃんの母・京子さん(48)は、男性の仮退院を受けて、それぞれ、次のようなコメントを報道機関に寄せた。

 ■土師さん■

 事前の説明通り、私たちに出院情報が通知されたことは、被害者遺族の1人として評価していますし、大きな前進だと考えています。出院情報の開示については、今後、少年事件においても、できるだけ早く制度として確立してほしいと思っています。

 男性の仮退院にあたっては、マスコミが様々な報道を行ってきました。彼に対する矯正教育は適当だったのか、教育期間は短くはなかったのか――など、いろいろな問題があると思いますが、最も重要なのは、彼は本当に更生したのかということだと思います。そういう判断をすることは、非常に困難なことです。

 本当に更生しているのかどうかは、今後の状況をより正確に観察した上で判断されるべきです。保護観察期間中だけでなく、期間を過ぎた後も、何らかの方法で経過を追ってほしいと思います。

 仮退院をした後に社会に出たとき、男性は様々な苦難に遭遇するでしょうが、それは当然の試練だと思います。彼の犯した罪は、一生かかっても償いきれるものではありません。そのことを絶対忘れずに、心に重い十字架を背負った状態で生きていってほしいと思います。

 ■山下さん■

 現実にこの日が来た今、とても複雑な思いです。矯正教育を信じたい反面、男性がわずか6年という時間でまっとうな社会生活を営めるかということに疑問を感じていることも否定できません。私個人としては、どんなに過酷な人生でも生き抜いてほしいと思います。決して罪を許してもいません。彩花のためにも、彼には絶望的な場所から蘇生(そせい)してもらいたいのです。

 罪を自覚すれば、当然苦しいのでしょうが、決して逃げないでほしい。謝罪とは、悪戦苦闘しながらも、茨(いばら)の道を生き抜いていくことしかありません。それでも生きることを放棄しないことが、遺族の痛みと苦しみを共有することになるのです。

 これからは、彼が更生する、しない、ということだけに固執するのではなく、むしろつらい体験を使命に転換し、私なりに社会貢献することにエネルギーを注いでいきたいと思っています。


 犯行時14歳という年齢と残忍な行為が社会に大きな衝撃を与えた神戸市の連続児童殺傷事件から約7年。医療少年院に収容されていた当時少年の加害者男性(21)が仮退院した10日、遺族は、「心に重い十字架を背負って生きていってほしい」との思いをつづった。

 犯行当時、「さあ、ゲームの始まりです」と大人社会に挑戦状を書いた男性は、その後の矯正教育で遺族の手記を繰り返し読み、「二度と同じ気持ちになることはない」との言葉も口にするようになった。

 「生きるよう迫らないでほしい。どこか静かな場所で独りで死にたい」

 関係者の話によると、少年審判で、男性はしきりにそう訴えたという。当時、男性は神戸少年鑑別所の中。自殺防止の独房で、24時間の監視態勢が取られていた。

 男性に面会に来た父親が「家族みんなで頑張っていこう」と声をかけると、男性は「会わないと言ったのに、何で来た」とどなり、受け入れなかった。

 しかし、関東医療少年院に収容された男性は、少しずつ心を開き始めた。

 施設の教官が、包み込むように接するうち、教官たちを「お父さん、お兄さん、お母さん」と家族のように呼ぶようになった。

 2001年9月、男性は出院準備のための教育課程に編入され、2か月後、ある中等少年院に移った。技能資格をとるとともに集団生活の中で社会性を身につけるためだった。

 傷害事件を起こした少年という扱いで、約20人と寮生活を体験した。「生意気だ」と殴られるなど、いじめを受けたこともあったが、友人もでき、いくつかの資格も得て、1年後、再び医療少年院に戻った。

 そこで、教官を通じ、男性が殺害した2遺族の手記を繰り返し読み、こんな感想を漏らしたという。

 「できることなら何でもしたい。遺族らの悲しみに近づけるように努め、罪の重さを一生背負い、償い続ける。あのころの自分は、まるで夢、幻のよう。犯罪で自分の存在を確認しようとしたこと自体、理解できない。2度と同じ気持ちになることはない」

 自分の家族の手記も読み、肉親の苦境も知った。当時は、「母親に犯行を見抜いて、止めてほしかった」と憤ったが、今は違う。母親に向き合わなかったことを反省し、「いつか、心の底から分かり合える間柄になりたい」と願い、一方で「大迷惑をかけた家族の中におめおめと帰れない」と複雑な思いも持っているという。

 「社会に出る男性をどのように見守っていくか」。昨年2月、男性の教官や医療担当者らのスタッフ、保護観察所の職員、家裁関係者ら計約20人が関東医療少年院に顔をそろえた。仮退院後の男性を取り巻く環境を協議する非公式の会議だった。

 席上、医療少年院側は男性の矯正過程について、「いつでも仮退院できる状況にある」と説明した。しかし、男性の受け入れ態勢については、それまで関係機関の間でも、具体的に論議されたことはなかった。

 どこに住むか、名前はどうするか、そして、男性が働く職場の関係者にはどこまで話すか……。

 様々な協議事項のうち、「居住地」が焦点となった。その結果、24時間態勢でサポートできる保護観察官らが多い大都市での生活が適当、という意見が大勢を占めたという。その後も、男性の受け入れ環境については、関係機関が連携を取りながら、一つひとつ整えられていった。

 犯罪をおこした少年の矯正に携わる関係者はいう。

 「男性は現在、水泳で言えば、スタート台に立ったところ。後は、水という社会に飛び込んで、泳ぎ切ることができるかどうか。見守っていきたい」

 ◆両親に「生んでくれてありがとう」◆

 男性の両親の代理人によると、両親はこれまで計十数回、男性と面会した。最後に会ったのは、昨年10月。事件後の少年審判のとき、男性は、母親をののしったが、現在は、普通の母子関係になっている。「産んでくれてありがとう」という手紙ももらい、両親は涙を流しながら読んだこともある。「親として一番、うれしい言葉だった」という。

 母親は「子どもにとっても、私たちにとっても、気の遠くなるような厳しく長い道のりだと思うが、できれば静かに見守ってほしい。被害者に謝罪することをはじめ、やらなければならないことはたくさんある。子どもとともに勇気を持って生き抜いていきたい」と話している、という。

 男性には「会いに行きたい」と言う。だが、自分たちと一緒に住むことを望んでおらず、自分たちが動くことで、マスコミなどに所在地を知られてしまう可能性もあり、それは避けたいと希望している。


 神戸連続児童殺傷事件の加害者男性に仮退院を許可したことについて、関東地方更生保護委員会の小幡哲夫委員長は10日、法務省矯正・保護両局とともに記者会見を開いた。主なやりとりは次の通り。

 ――更生の状況をどう判断したのか。

 小畑委員長 担当者が性格、帰住予定地の環境、退院後の生活計画などを調査し、本人と繰り返し面接した。処分を決めた委員3人も複数回面接し、複数の精神科医の報告も求めた。少年院からの資料も合わせ、保護観察をつけての仮退院が相当と判断した。

 ――処遇の概要は。

 宮本史郎・矯正局教育課長 6年5カ月は少年院での処遇期間では一番長い。処遇チームを結成して贖罪(しょくざい)意識や生命を尊重する心を育て、社会復帰への適応力をつけるなど、精神医療と矯正の両面から取り組み、非常に効果があがった。

 ――どこに住むのかを被害者側に伝えたのか。

 小畑委員長 家族に内々に「近畿地方ではない」とは伝えた。具体的には言っていない。

 ――どんな環境でどんな生活を送るのか。

 小畑委員長 具体的に答えると、改善更生と円滑な社会復帰に支障を生じるおそれがある。

 ――男性と両親との関係はどうするのか。

 小畑委員長 家族との親和感を醸成することは大事だ。処遇の中身は差し控えたい。

 ――仕事は。

 宮本課長 別の少年院に移して社会的職業資格を取得させたのは事実だ。

 ――成人と同様、少年の場合の出所の通知制度を整備するのか。

 林真琴・矯正局総務課長 そういう方向で検討している。ただ、成人と少年をパラレルに考えられるかどうか。

 ――「治癒は難しいのでは」との声もあるが。

 大橋秀夫・矯正局医療分類課長 よくなっている。診断できるような症状は全くない。成年してからよくなるのは難しいと思うが、たまたま成長期だったから、いい方向に向かった。

 小畑委員長 静かに見守っていただきますよう、温かいご理解とご協力をお願いしたい。 (03/10 19:00)


 福田官房長官は10日の記者会見で、神戸市の連続児童殺傷事件の加害者の男性が医療少年院を仮退院したことについて、「非行内容の重大性、事件の残虐性があるので、法務省で慎重に調査、審議を重ねてきたが、精神医療、矯正教育の成果が認められた。この(元)少年が今後、きちんとした社会生活を送るよう期待するが、我々国民も彼を受け入れる度量、理解が必要だ」と述べた。

 仮退院を公表した理由については「本人の社会復帰のためには社会の理解と協力が不可欠だ。あわせて社会の不安も払拭(ふっしょく)しなければならないということを総合的に判断し、仮退院に関する情報を限定的に公表した」と説明した。


 神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(21)=事件当時(14)=の仮退院について、関東地方更生保護委員会(さいたま市)の小畑哲夫委員長は10日、法務省で記者会見し「医療少年院での精神医療と矯正教育の成果が認められた」「再犯の可能性はないと判断した」と決定理由を明らかにした。

 法務省側が少年の仮退院の事実や理由の公表に踏み切ったのは初めて。小畑委員長は「重大特異な事案で、適正な社会的関心にこたえ、可能な範囲で国民の不安を払しょくするため」と公表理由を述べた。

 約6年5カ月に及ぶ収容は少年事件で最長という。保護観察期間は12月31日までの約9カ月半。問題がなければ通常の生活に戻るが、問題行動があれば同委員会の申請により家裁が少年院への再収容を決定する。

 法務省も担当課長らが会見。事件の原因の一つとされた「性的サディズム」は「良くなっている。診断できるような症状は全くない」と強調した。


小泉純一郎首相は10日、神戸市の連続児童殺傷事件の加害者男性の仮退院について「複雑な気持ちですね。被害者のご家族、やりきれないでしょうね。しかし少年の更生を考えるとこういう方法しかないのかなあと(思う)」と述べた。また、法務省の仮退院公表には「公表してよかったかどうかわからない」と述べ、理由について「マスコミの追跡で身元が分かった場合、更正にどう影響を与えるかが心配」と語った。首相官邸で記者団に答えた。


小泉純一郎首相は10日夜、法務省が神戸児童連続殺傷事件の加害者の仮退院を公表したことについて「良かったかどうかというのは分かりませんね。マスコミが追跡して身元が分かったら、更生を考えるとどういう影響を与えるのか。それが心配ですね」と疑問を呈した。首相官邸で記者団の質問に答えた。首相が政府の行政当局の対応を批判するのは異例。


 97年に起きた神戸児童連続殺傷事件の当時中学生だった男性の仮退院を受けて、男性の両親は10日、弁護士を通してコメントを発表した。

 母親は面会時の様子について「長男の顔をじっと見て『えん罪ということはありえへんの。お母さんは、直接あんたの口からはっきり聞かんと納得できへんね』。私は泣きながら、聞きました。すると長男は私の目をじっと見て、涙を浮かべて下を向きながら『ありえへん』と一言答えました」としている。また、「本当にたくさんの方々に助けてもらって、立ち直りのきっかけをつかめたように思えます。被害者の方々への償いをしていくと思いますが、できれば静かに見守っていただければと思います」と述べた。

 また父親は、男性が逮捕されてから10日まで、節目節目に記したコメントを出した。

 「医療少年院で彩花ちゃんと淳くんの命日に、長男を参加させ法要を行ったが、本人は取り乱して翌日には高熱を出し、それ以降投げやりの態度をとり続けているとのことでした」(98年6月)

 「思い切って、弟たち2人を連れて行きました。二男は過去を思い出したのか、感極まって泣き出してしまいました」(01年8月)

 「許されることはなくてもへこたれず、3人で力を合わせ、被害者の方々へ精一杯の償いができるよう、励まし合っていきたいと思っております」


 「男性は人間的に成長し、精神障害も一切見られない」。神戸市の小学生連続殺傷事件で、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた男性(当時14歳、現在21歳)が10日、仮退院した。少年事件としては最長の6年5カ月の間、「精神医療」と「更生」の両面から特別なケアを受け、どう変わっていったのか。法務省や弁護士らは今後も社会復帰のために異例の支援体制を取る。【磯崎由美、斎藤良太、渡辺暖、梅山崇】

 「当初指摘されていたような精神障害は認められず、しょく罪意識も出てきた」。法務省幹部はこの日の記者会見でこう説明した。

 同省によると、少年院内では医療担当スタッフと矯正教育スタッフで特別処遇チームを編成。(1)しょく罪意識を養う(2)生命を尊重する心を育てる(3)社会復帰のための適応力をつける――の3点を目標に、男性の更生に取り組んだ。

 医療面では「複数の精神科医が精神療法を通じて頻繁に面接を重ね、状態が良くなっていった」という。事件当時指摘されていた性的サディズムについても「複数の専門家が診て、外部の医師の意見も聞いたうえで判断し、心理検査もした」結果、兆候はなくなったと判断した。

 その理由として「人格が固まった成人が性的サディズムと診断をされると良くなるのは難しいが、男性は思春期にあったため、いい方向に変化した」と話す。しかし、具体的なプログラムの内容や、男性の回復過程については明言を避けた。

 少年院では、重大事件を起こした少年たちには「G3」という特別な処遇が行われている。関係者によると、男性は入所当初、「よろいを着たようにかたくなで笑顔もなかった」という。その後、ゲームなどを通して教官らとの関係を徐々に築いた。

 「自分が壊れていく」と精神的に混乱する時期もあったが、集団生活を始めるとともに、しょく罪指導で被害者の月命日に自分を省みた。事件に関する新聞記事なども読み、被害者や社会に与えた影響を深く考えるようになった。また、終盤には社会復帰を目指した職業訓練によって各種の技能資格を取得。遺族の著書も写していたという。

 さらに、特別処遇チームでは「しつけの厳しかった男性の母親に問題があった」とみて、母親との関係を整理し、母子の信頼関係を育てることも目指した。男性の主治医と女性の副主治医が両親の役割を演じた。

 関係者によると、副主治医は松本零士氏のアニメ「銀河鉄道999」のキャラクター「メーテル」を思わせる母性的な雰囲気がある。男性は副主治医を「僕にとっては理想の母」と表現したという。

◇弁護士ら支援チーム

 男性の仮退院後について、法務省は具体的な受け入れ先や支援の内容を「社会復帰に支障が出る」として明らかにしなかった。

 一般的に仮退院する場合、家族などが受け入れられなければ民間の更生保護施設に入ることもある。過去を周囲に知られないようにするため、養子縁組などによって姓を変える場合もあるという。

 今回、男性は仮退院後に保護観察所の保護観察官や保護司の助けも受ける。保護観察は神戸家裁が決定した今年末まで続けられる。

 一方、関係者によると付添人弁護士らが、他の弁護士、精神科医、カウンセラー、少年院職員らのボランティアメンバーを集め、男性の支援チームを編成した。通常の保護観察では保護司に月2回程度会うが、「男性の場合はそれでは不十分」と判断したからだ。男性の両親は「何かあった時に相談できる体制がほしい」と希望し、保護観察所も「民間の保護司だけでは無理。保護観察終了後も長期間の援助が必要」との意見を出していた。

 チームは居住先の保護観察所の調整のもと、今年末の保護観察終了(本退院)後もかかわる見通し。男性や両親に対する精神的ケア、場合によっては被害者への謝罪も取り持つ。こうした長期の支援チームが作られたのは少年事件では初めてという。

 精神科医で岐阜大医学部の高岡健助教授の話 今後は男性を地域全体で支えなくてはならない。男性が社会に溶け込めるかは周囲との相関関係で決まり、周囲が特別視するほど関係は悪化する。だから、男性が地域に受け入れられるために法務省は男性がこの6年間、どんなプログラムで治療し、どんな反応を示してきたか、男性のプライバシーを守ったうえで出来るだけ公開すべきだ。また、少年事件の場合、入院中と退院後にサポートメンバーが代わってしまい、治療の連続性が途切れる問題が指摘されている。今回を機に同一に近い態勢を取るべきだ。

◇退院情報提供、制度化を検討 法務省

 法務省は男性が仮退院したことを、直後に被害者の遺族側と報道機関に相次いで知らせた。同省は、男性に対しても仮退院を公表することを伝え、男性もこれを了承したという。成人事件の場合、出所情報を被害者に通知する制度を導入しているが、少年事件では未整備で、異例の対応だった。同省は会見で「少年事件でも、被害者保護の観点から、少年の出院(仮退院)情報を提供する方向にある」と制度化を検討していることを明らかにした。

 同省は、男性の少年院での処遇に関する情報も「折に触れて遺族に説明してきた」(幹部)という。しかし、制度化については「成人でも制度化されていない。出院状況とは区別して考えたい。事件の重大性、被害者からの要請、少年のプライバシーなどから個々に判断していくしかない」と述べるにとどまった。

 ◇保護観察 

 刑務所や少年院から仮出所・仮退院が許された人は、保護観察官や保護司の助けを受けながら社会復帰の準備を進める。期間中は▽一定の住居に住み、正業に従事▽素行不良者と交際しない▽転居や長期の旅行をする場合は保護観察所の許可を得る――などを守る必要がある。仮退院の場合、その事項を守らなければ、地方更生保護委員会が家裁に再収容を申請する。問題行動がなければ同委員会が保護観察の終了を決め、その時点で正式な退院となる。


 「矯正教育とその体制の説明は受けたが、更生につながっているかは疑問だ」。犠牲になった土師淳君(当時11歳)の父守さん(47)が10日午後、神戸司法記者クラブで代理人2人を伴い会見に臨んだ。「加害男性と会いたいとは思わない」とし、謝罪のアプローチがあっても「現時点では(受けるつもりが)ないが、状況に応じて考える」と述べた。「謝罪にはいろんな形がある。それを模索するところから始めてほしい」とし、少年院教育についても「自分の犯した罪を本心で理解させるようなものを望む」と訴えた。

 土師さんは、仮退院後の男性の状況について、精神カウンセラーらの支援グループ責任者から説明を受ける見通しという。本退院後についても「精神科医らのボランティアグループが経過観察するのだろうが、男性本人や両親らの許可を得ることになっても、私たちに状況を知らせてほしい」と話した。男性についても「報酬目当ての手記は絶対に出版してほしくない。弁護士など人の罪と向き合う仕事にも就いてほしくない」とクギを刺した。

 一方、今回の情報通知については一定の評価はしながらも、「居住地はせめて西日本か東日本かぐらいは教えてくれないと」と苦言を述べた。【梅山崇】


 「事件としての区切りと考えた。しかし気持ちの中では、一生区切りは来ないと思う」。二男淳君(当時11歳)を失った土師守さん(47)は10日午後、神戸地裁で事件後初めて記者会見に応じ、複雑な胸の内を語った。

 仮退院の報は午前11時前、関東地方更生保護委員会の職員から電話で聞いた。「『ついにこの日が来たのかな』という感じだった」。男性からの謝罪について、「現時点では受け入れられないし、会いたいとも思わない。どういうことが謝罪なのか、自分から考えてもらいたい」と話した。

 「全国犯罪被害者の会」のメンバーとして、犯罪で肉親を失った人たちの権利確立を求めて活動する土師さん。仮退院情報の公表については「良かった」と評価したが、「一般の少年事件についても、出院情報の開示などの制度を作ってほしい」と求めた。

 長女の彩花ちゃん(当時10歳)を亡くした山下京子さん(48)の代理人の堀正視弁護士も10日午後、会見し、「正確な居住地も教えてほしいが、遺族は、男性が本当に更生しているのか、安心していいのかを一番気にしている。今後、経過を詳しく説明してもらえるよう要望したい」と話した。


 1997年に起きた神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で、関東地方更生保護委員会(さいたま市)は10日午前、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた当時14歳の加害者男性(21)の仮退院を認める決定をした。

 これを受け、男性は直ちに仮退院し、同年6月の逮捕以来、約6年9か月ぶりに社会に戻った。今後、保護観察下で社会生活を送り、問題行動などがなければ今年12月末に正式退院を迎える。法務省は男性が仮退院した事実を遺族に通知。午後には決定に至った経緯などを報道発表する。

 同委員会はこの日朝、男性の仮退院の可否を最終的に協議し、「約6年半にわたる矯正教育で、事件の要因となった男性の性的サディズムなどは改善され、再犯の恐れもなくなった」と判断。出院後の居住地などにもめどがついたことから、仮退院を認めた。

 これを受け、男性は同日午前8時55分、関東医療少年院を仮退院した。法務省は、被害者の遺族に対し、「居住地は近畿ではない」と伝えたという。

 関係者によると、男性はこれまで少年院で受けてきた矯正教育により、被害者の月命日に冥福(めいふく)を祈るなど、しょく罪意識が芽生え、他人との会話もスムーズに行えるようになったという。技能職の資格も取得していることから、少年院側は「社会生活は可能」として、昨年3月、関東地方更生保護委員会に仮退院を申請。同委員会ではこれまで、委員が男性本人と面談するなどして、更生状況を慎重に見極めてきた。

 仮退院後は、保護観察所などの生活指導を受けながら自立を図り、今年12月末をめどに、本格的な社会復帰を目指す。

 神戸の事件では、遺族側が男性の仮退院情報を通知するよう強く求めていた経緯があり、法務省は男性が仮退院した事実をすぐに通知した。さらに、事件の重大性を考慮し、午後には報道発表により、仮退院を認めた経緯などを広く国民に説明する。

 男性は97年10月、神戸家裁の「性衝動と攻撃性の結合が重要な要因で、熟練した精神科医のもとでの更生が必要」との決定を受けて関東医療少年院に収容された。2001年11月には、「本格的な社会復帰に備え、集団での訓練が必要」として、いったん中等少年院に移された。

 少年院の収容期限は通常20歳までとされるが、男性については、同家裁が2002年7月、「仮退院後の生活にまだ不安が残る」として、20歳になった後も保護観察期間を含めて2年半の収容継続を決定。同年11月に再び、関東医療少年院に戻っていた。

 男性は中学3年生(14歳)当時の、97年5月、神戸市須磨区の通称「タンク山」で、土師淳(はせ・じゅん)君(当時11歳)を絞殺し、約1か月後に殺人と死体遺棄容疑で逮捕された。その後の調べで、男性は同年2月にも小学生の女児2人をハンマーで殴打、さらに3月にも、山下彩花(あやか)ちゃん(当時10歳)ら2人をげんのうで殴るなどして殺傷していたことが判明した。

 ◆問題行動なければ12月に正式退院◆

 男性は仮退院後も、保護観察官や保護司の指導を受けながら保護観察の期間を過ごす。勤労状況や生活態度に問題がなく、「社会での自立した生活が可能」と判断されれば、正式退院となる。

 仮退院者はまず第1に、犯罪者予防更生法により、〈1〉一定の住居に居住し、正業に従事する〈2〉善行を保持する――など四つの「順守事項」を守らなければならないとされる。男性の場合はこれに加えて、「保護司と毎日面談すること」「毎週1回カウンセリングを受けること」などの“特別メニュー”を含めた処遇計画が立てられているとみられる。その更生状況は、保護司、地方更生保護委員会を介して、法務大臣にまで報告される見込みだ。

 順守事項に違反し、指導を受けても改善が見られない場合は、同委員会が、再び少年院に収容するよう家裁に申請する。

 ◆地方更生保護委員会=刑務所からの仮出所や少年院の仮退院などを決定する機関。高等裁判所の管轄区域に合わせて、全国8か所に設置されている。少年院の仮退院については、少年院側の申請に基づき、委員3人で構成する合議体で可否を決定する。委員は保護観察所や刑務所、検察庁などの職員らが務めている。


 一九九七年、神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で逮捕された当時十四歳の中学生だった加害男性(21)が十日、収容されていた関東医療少年院(東京都府中市)から仮退院した。昨年三月に医療少年院から仮退院の申請を受けた関東地方更生保護委員会(さいたま市)が認めた。小学生五人が相次いで襲われ、うち二人が殺害された少年犯罪史上例のない事件から約七年。男性は今後、保護観察に付され、保護観察官や保護司から生活指導を受けるなど特別なサポート体制のもとで生活、社会復帰を目指す。

 仮退院は地方更生保護委員会の委員や保護観察官が本人に直接面接するなど調査し、三人の委員で構成する合議体が同日決定。男性は午前八時五十五分に仮退院した。居住地は公表されていないが、家族以外の第三者が身元を引き受けたとみられる。被害者の遺族側にも同日午前、「(男性の居住地は)近畿地方ではない」などと仮退院が伝えられた。

 男性は九七年六月に逮捕され、神戸地検が神戸家裁に送致。神戸家裁は一連の事件を男性の犯行と認定した上で「精神病ではないが、今後重い精神障害に陥る可能性がある」として医療少年院送致を決定した。

 関東医療少年院に収容された男性は二○○一年十一月、中等少年院に移されたが、神戸家裁が〇四年十二月までの収容を決定。その後、事件の反省が顕著で、〇二年七月に二十歳を迎えたことから、同少年院が社会での保護観察の処遇へ移行するのが望ましいとして、昨年三月下旬、仮退院を申請していた。

 当初は出院準備教育課程が終了する昨年九月にも仮退院するとみられていたが、受け入れ先の確保などに予想より時間がかかったとみられる。

 関係者らによると、男性は少年審判で「性的サディズム」と指摘されたが、一般の青年と同じレベルまで改善。精神障害の兆候もみられず、集団生活にも溶け込めるようになったという。

 また、事件について「犯罪によって自己の存在を確認しようとしたことが理解できない」と振り返り、「二度と同じ気持ちになることはない」と反省。被害者、遺族に対しても「一生償い続けたい」などと話しているという。

 連続児童殺傷事件 1997年2―3月にかけ、神戸市須磨区で小学生の女児ら4人が金づちで殴られたり、ナイフで刺されたりして、小学4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=が死亡。5月24日には、同6年の土師淳君=同(11)=が殺害され、27日に遺体の一部が中学校の正門前で見つかり、その後、犯行声明文が神戸新聞社に届いた。同年6月、兵庫県警は殺人容疑などで近くの中学三年の少年=同(14)=を逮捕。神戸家裁は医療少年院送致とし、関東医療少年院などに収容された。神戸家裁は2002年7月、20歳になった男性を仮退院後の保護観察期間も含めて04年末まで収容継続を決定。同少年院は昨年3月、関東地方更生保護委員会に男性の仮退院を申請した。

 保護観察 犯罪者や非行少年を対象に、通常の社会生活を営ませながら自立更生を促す制度。保護観察処分は判決や家裁の決定で受ける場合と、刑務所の仮出所や少年院の仮退院で受ける場合に大別される。いずれも国家公務員の保護観察官が地域ボランティアの保護司と連携し、処分対象者に必要な指導や助言を行う。保護観察に付された少年や仮退院者は2002年で約5万4500人。


 神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で、加害男性の仮退院について、殺害された土師淳君=当時(11)=と山下彩花ちゃん=同(10)=の遺族側には十日午前、関東地方更生保護委員会から「本日、関東医療少年院を仮退院した」と、連絡があった。

 両遺族の代理人によると、午前十一時前、遺族と代理人に電話で通知があったという。男性の居住地について、同委員会は「近畿地方ではない」と説明。仮退院の経緯については「後日、要望があれば説明したい」と答えたという。

 淳君の父守さん(47)は加害男性の仮退院について、「重い十字架を背負って生きてほしい」と公表した手記で述べた。男性の更生については「判断は非常に困難」とし「保護観察期間を過ぎた後も、何らかの方法で経過を追ってほしい」と要望した。

 守さんは、淳君が殺害されて六年にあたる昨年五月の神戸新聞社とのインタビューで、「事件は一生忘れることはできない」と心情を打ち明けた。毎週、明石の菩提寺(ぼだいじ)に通い、月命日には住職に自宅に来てもらっているという。

 事件を機に、犯罪被害者の司法参加などの拡大を訴えてきた。同事件でも、法務省に仮退院情報の開示などを求める要望書などを提出。今回の情報開示を評価し、さらに踏み込んだ対応の必要性を強調している。

 一方、彩花ちゃんの両親はこれまで三回、法務省から矯正教育のプログラムや男性の変化について説明を受けた。昨年九月には、医療少年院で男性を担当していた教官や精神科医らと面会した。

 母親の京子さんは、男性に贖罪(しよくざい)感情が芽生えているという説明を受け、「人間は変われるものなのかもしれない。変わっていてほしいと思うようになった」と振り返った。「更生して罪を自覚し、遺族の痛みと苦しみを共有してほしい」と願った。


 全国に衝撃を与え、少年法改正の契機となった神戸の連続児童殺傷事件から約七年。当時十四歳だった男性(21)が十日、仮退院した。「いつかはこの日が…」「人の心を取り戻したのか」。傷の癒えない遺族らの胸に、不安と疑問が入り交じる。娘を失った母親からは「逃げないでより良く生きて」との呼び掛けも。一生かけて罪を償う―。重い十字架を背負ったままの再出発だ。「酒鬼薔薇聖斗」を名乗った男性には、長く困難な道のりが待ち構えている。

 事件当時十四歳だった加害男性(21)は、逮捕当初、「欲望のまま行動するのが人間本来の姿」と口にするなど、その反社会的価値観や心の闇の深さは、社会を震かんさせた。

 一九九七年十月、関東医療少年院に送致された男性は、面会に訪れた関係者が少年院のスタッフに対し、「一人で死なせてほしい」と繰り返すばかりだった。

 法務省は男性の特別カリキュラムを作成。スタッフも増員し、矯正教育を続けるうちに、「無人島で独り暮らしがしたい」「社会で温かい人間に囲まれて生きたい」と心境の変化を見せ始めた。

 中等少年院に移送後は、初めて、二十人余りの少年たちと集団生活を送り、相手の気持ちを理解することなど、人との接し方を学んだ。また、職業訓練などにも励み、将来の具体的な展望を抱くようになったという。

 贖罪(しよくざい)教育では、遺族の手記を何度も読み返し、スタッフと語り合う中で、「二度と同じ気持ちにならない」と話すなど、被害者や遺族の痛みや苦しみを理解できるようになった。

 「夢まぼろしのようだ。犯罪で自己の存在を確認しようとしたことが理解できない」とも語ったという。

 あれから約七年。事件当時をこう振り返ることができるようになった男性は「罪の重さを一日たりとも忘れず、できることは何でもしたい」と誓い、少年院を後にしたという。


 神戸市の連続児童殺傷事件で、加害者の男性(21)が十日、関東医療少年院から仮退院したことを受け、少年審判で男性の付添人を務めた弁護士は「周りが騒いで男性を追い込んでしまうと社会復帰が難しくなる」と訴えている。

 弁護士は、男性が更生したとされることに関し「自分の命の価値に気付いたことで、人の命を奪ったことへの贖罪(しよくざい)の気持ちが生まれた」と分析。

 被害者側が懸念する再犯の恐れについて「少年は短期間で大きく成長する。心配はしていない」と言い「少年院が最高の手厚い態勢で臨んでくれたようだ」と話した。

 その上で、男性に対し「犯した罪の重みは消えないが、自分が人に愛されていることを忘れず、強く生きてほしい」と呼び掛けている。

 今回の仮退院をめぐり、法務省側が遺族側に更生状況など一定の情報開示を行った点については「事件ごとに場当たり的な対応をしている。何らかの統一的なルールが必要だ」と指摘。

 この事件などが契機となり、二○○○年に刑事罰適用年齢を十六歳から十四歳に引き下げるなど少年法が改正された点に触れ「厳罰化しても、少年犯罪の抑止力はまったくない」と強調した。


 神戸の連続児童殺傷事件で逮捕された男性が関東医療少年院から仮退院した。少年院からの仮退院は通常、地方更生保護委員会に申請して数カ月で実施される。申請から一年もかかった今回のケースは異例だ。

 関東地方更生保護委員会は昨年秋、男性の更生状況に問題はないと判断している。これだけ時間がかかったのは、受け入れ先の調整が難航したためとみられる。

 男性の受け入れ先はプライバシー保護の観点から公にされないが、少年犯罪史上例のない凶悪事件で逮捕された男性が今後、社会人として生活していくには、地域社会との「共生」と家族の「再生」という二つの重い課題が待ち受けている。

 男性の家族の精神的なダメージは大きく、親子関係の修復にはなお時間が必要なため、受け入れ先は当面、家族以外の第三者とし、機が熟した時点で家族と暮らすことになるとみられる。

 しかし、忘れてはならないのは事件で子供を失った遺族の存在だ。遺族が受けた心の傷は決して癒えるものではない。

 「少年の健全育成と矯正」という少年法の精神に立った男性に対する手厚い更生プログラムの必要性は言うまでもないが、法務当局による遺族への十分な説明とケアが図られなければ、男性の真の更生は完結しない。


 神戸の連続児童殺傷事件で、当時少年だった加害男性(21)の母親が10日、弁護士を通じて「長男は不安と未知の世界に飛び出す勇気を持とうと懸命に頑張っている。できれば静かに見守ってほしい」とする談話を発表した。

 談話は書面2枚。「何度も死にたいと思ったが、私たちが死ねば、遺族たちの怒りや悲しみを受け止めるのが長男以外になくなる。生きながらえて、悲しみや怒りを受け止めなければならないと思った」と心情を吐露。

 「『冤罪(えんざい)ということはありえへんの?』と聞いたら、涙を浮かべて『ありえへん』と答え、一瞬頭が真っ白になった」と、収容先で面会した際の様子も記されている。

 「入院後3年ぐらいたったころから、少しずつ、いい方向に向かっていったような感じがした。長男から『産んでくれてありがとう。悲しませるようなことは二度としない』との手紙をもらった時は涙をぼろぼろ流しながら読んだ。親として一番うれしい言葉だった」と述べた。(共同通信)